院長の独り言
Monologue

2013.3.30

「いい人」をやめると楽になる

先日、娘と妻の3人で書店に行き、古い本ですがそのタイトルが私の目を釘付けにした本がありました。曽野綾子の「いい人」をやめると楽になるという本です。妻に何の本を買ったのと聞かれて答えると、本好きの妻はすでに読んでいるらしく、「あなたはもう十分にいい人ではないから、いい人になる本でも読んだ方がいいよ」と言われました。私は妻に「自分がいい人をやめて楽になった瞬間があるので、回想しながら読むんだよ」と答えました。妻の言うとおりで私は何時の日かいい人でいることをやめたのでした。
 私は中学時代から研修医、大学院生くらいまでは先輩や目上の人に逆らわない実に「いい人」でした。周囲の人の評判も適度に気にしながら、人に気を使い、全ての人に良く思われたいモードで暮らしていました。だから、上からの命令に忠実で白黒は上の人が決めるわけであり、何も考えずに主従関係に従って行動していました。
 父が生きている間は、父に褒められたい、父の死後は自分より上の人の気を引く様に行動する多くの日本人に典型的なタイプの人間でした。年功序列を良しとして、儒教的に目上に逆らわなければ充実した人生を送れるものと考えていました。
 では、何が私の思想を狂わせたのか考えて見ると、31歳でJA厚生連の日原共存病院の院長になったことが大きく私の考え方を変換させたのです。自分よりも上の人がいなくなり、この人に従っていれば大丈夫という人がいなくなったのです。そして、病院が良くなると思って何か改革をすれば賛成してくれる人もいれば、必ず文句を言って批判してくれる人も沢山いることに気がついたのです。いろいろ熟考して、その時期に最大限の結果が出ることを信じて打った手も必ず誰かが批判してくれます。院内の職員はまとめたとしてもこんどは外部の人から心ない批判を浴びてしまいます。
 2~3年病院長をやって行くうちに、「いい人」をやめて楽になる選択をしたのです。何をしても必ず反対意見がでるなら、人の目は気にせずにあるがままの自分の考えでやって行こうと思えるようになったのでした。また、周囲に対して見栄をはらずに自然体で生きて行けるようになったのでした。そうやって生きていくためには、あらゆる努力をして理論では人から責められることのないように頑張りました。若くして、病院内での医療訴訟でテレビに出たり、勤務している外科医が死んだりいろいろと辛いことはありましたが、いい人を早めに止めたお陰で乗り越えられたと考えています。
 その後、日原共存病院を医局の人事で退職して、今度は民間経営の雇われ院長になった時は大変気が楽でした。今度は、民間経営者が主体であるので、全く「いい人」になる必要はなく、むしろ経営者の手前「いい人」になって人望でも集めてジェラシーの対象になっては痛い目に合うと考えて気楽に働きました。トラブルになる前に早めに辞めて自分で開業したのでした。今は、目の前の患者さんの病気を良くすることだけを考えて生きていれば良いので、全くといってよいほど「いい人」になって他人の眼を気にして取り繕う必要もないのです。ロータリークラブや医師会の理事会などに出席して、どんなに偉い人にもきちんとあるがままの自分の意見は述べることにしています。
 私のまわりの人達の中には周囲の眼を気にして暮らしていて、そこにプライドを持っておられる人が沢山います。その人達に「いい人」をやめたら楽になるよと言ってあげたいのですが、そのことを言われること自体がプライドを傷つけますのでお節介はできません。ステイーブジョブズが言ったように、自分が死ぬ前の最後の日だと思えばやっとできるのかもしれません。「いい人」でいると自分では気分良くしていても、他人からみればちっとも「いい人」ではなく、取り繕っている労力を見透かされて、心の中で馬鹿にされるのが関の山です。結局、人間は今まで自分が努力して培った「あるがままの自分」で生きて行くしかないのです。自分の価値はそれ以上でもそれ以下でもないのです。私は結局のところ、長年自分を最も観察してきてくれて最大の批判者であり、最大の理解者である妻をはじめとする家族や職員と一緒にいるのがもっとも心地良いということに気が付きました。
 以上、私が「いい人」やめて楽になったお話をさせて頂きました。一度歩み始めた方向は何な大きなイベントや事件がないと変わるものではありませんが、人の目を気にしないと本当に楽な生き方が待っていると思います。参考にしてください。