院長の独り言
Monologue

2012.12.30

まずは使ってみよう漢方薬

今年も残すところあと一日となりました。みなさんにとってどんな年だったでしょうか。私にとっては自分が書いた本を出版するという画期的な年になりました。実は12月21日に「まずは使ってみよう漢方薬」というタイトルで漢方を初めて志す医療者や漢方に興味のある患者さん向けに本を出版しました。漢方の師匠である寺澤捷年先生に監修して頂きました。自分としてはよく書けたなという気持ちです。お陰様でまだ発売して一週間なのに約2000部が売れました。イラストを使ってわかりやすく解説したつもりで、現在自分の持っている力を全て出し切ったと思っています。自分の力はまだまだ発展途上なので今後も改訂を行なっていこうと思っています。
 今回の出版で最も嬉しかったポイントを述べて見たいと思います。私は語学が苦手で小さい時からとても苦労しました。中学、高校と国語と英語の力がないために大変悔しい思いをしてきました。医学部では語学力はほとんど力を必要としなかったために勉強が苦であることはありませんでしたが、医師になってから国際学会で発表する際になかなか質問に答えられなくて立ち往生したり、せっかく良いアイデアで発表しても論文を書くのが苦手で大学の人間としては相応しくないなと考え、大学院終了と同時にさっさと一般病院の院長になって科学的な研究から30歳で足を洗いました。病院経営にのめり込んで一生懸命に経理を独学で勉強しました。院長になって毎日上がってくる書類に印鑑を押すのにすべてのことが理解できませんでした。特に経理が最も大切で、医療機器を買うにも経理的な感覚がないと正しい判断はできません。そこで損益計算書とバランスシートの本を読んで独学で勉強して、今では全国の医者の中で私ほどバランスシートが読めて経理のできる医者はいないと思うほど自信がついています。なにしろ31歳から現在の53歳まで雇われ院長を9年と自身の開業13年ずっと毎月損益計算書とバランスシートを検討しているのですからかなりの腕前になっています。今では地元の医師会では経理の能力を買われて理事になり、自院の経理を行なっている公認会計事務所の間違いを見つけたりすることもあるようになり、税務調査が入った時も会計事務所の人が不必要に思えて帰ってもらって一人で乗り切りました。
  語学が苦手な私ですが学位論文は小林祥泰先生の指導のお陰でStrokeという世界的な雑誌に論文を掲載することが出来て現在も後輩が関連した研究を続けてくれています。大学にいる時はホームラン狙いで、内野安打的な論文をこつこつ書くことが嫌いで、また上司に平気で逆らった意見を言ってしまうので大学には本当に向かないと思っていました。
 そんな私がある漢方の講演で寺澤先生の話を聞く機会があり、先生の漢方薬を使った診療に魅了されました。今まで西洋医学は師匠の小林祥泰先生に学び、ある程度の臨床力はついて自信もついていたのですが、新しい角度からの漢方治療に接して、まるで何もわからない自分に焦りを感じました。寺澤先生の講演があると聞けばどこにでも行って話を聞き、その内に先生に覚えて頂いて当時在籍されていた富山医科薬科大学まで夏休みの1週間を利用して合宿のような形で毎年行って勉強しました。ですが、自分が院長を勤める病院では独学で実践するしかなくて、本当に幼稚な理論で処方を選んでいたなと思います。今になって考えると師匠に一から十まで教えて頂かなくて、西洋医学をベースに医療を行なっている私だからこそ、私の様な立場の医師が漢方を勉強しようとして途方に暮れるということが理解ができます。それで今回の本が書けたのではないかと考えます。もし、寺澤先生の側にずっといたらもっと難しい専門的な本を書いていて、西洋医学をベースにした先生たちに受け入れられる様な本ではなかったでしょう。
 ここに今年最後に私の言いたい主題があります。数カ月前の独り言で甥の一将くんが県の弁論大会で障害者である自分だからこそ社会の役に立つことがあり、自分にしか出来ないことがあると述べています。自分に大きなハンデイーがあっても、そんな自分だからこそ役に立てる何かがあるんだということです。
 私の人生なんてピンチの連続で、一事が万事自分が出来が悪い状態から危機感を持ってこつこつ努力して成果をあげています。国語力がなく、漢方の勉強も十分にできる環境にいなかった自分だから、自分と同じように漢方の漢文を読んでいると英語のほうがましだと思えてきて、漢方薬をどうやって学んだらいいかわからない多くの医療者にお役に立てる本が書けたと思うし、潰れそうな病院の雇われ院長を経験して経理をひたすら勉強できて現在非常に役に立っています。国語力がないのにこのブログも多くの人に読んでもらうので、拙劣な文章を書いて約8年が経過しました。
 2013年の箱根駅伝で5区を走る日体大3年生の服部翔大という選手がいます。小さい頃から走ることが苦手でお父さんがいつも一緒に走ったりスポーツをしたりすることを続けてくれて、大学駅伝で活躍するような選手になったのですが、昨年の12月にそのお父さんが肺がんで逝去されました。2012年の箱根駅伝の2週間前でした。彼はお父さんの弔いの意味で1区の区間賞を狙って走り、早稲田のスーパーエースの大迫にはほしくも負けましたが堂々の2位でした。日体大は19位と始まって以来の悪い成績でしたが、彼は当時2年生ながらキャプテンに指名されてチームをまとめて、今年の予選会1位の成績で箱根に帰ってきて上位も伺えるようになっています。走ることが苦手で一生懸命に努力でここまできているからこそ、お父さんが死んだ直後でも悲しみに堪えて冷静に走ることが出来て、監督はピンチをチャンスに変えた彼に上級生を差し置いて日体大の再生を任せたのだと思います。
 この様に世の中はハンデイーこそ長所になっている話が沢山あります。人生何が幸いするかわからないので、チャンスに恵まれずに自分が不幸だと思っている人も、何とか工夫してそこから立ち上がり、その立ち上がった方法論にこそ沢山の宝が潜んでいるのです。
 私の漢方理論は寺澤先生から学んでいますが、その発展には多くの患者さんに投与して、効く効かないは患者さんから学びました。開業して13年カルテが2万を超えました。その多くの患者さんに支えられている漢方理論です。先日53歳になってこれからは頭脳が徐々に衰えていくと思いますが、日々患者さんに教えて頂きながら経験をさらに積んでいき、息子に引き継ぐまでの医師としての人生を全うしたいと考えています。
 国語力のない私ですが、来年は一般の人向けの安くて(千円以下)さらに噛み砕いた本を出そうと考えて来月から忙しい外来の合間で書き始めるつもりです。