患者さんからの贈り物
私が開業してから13年目になりますが、精神的に病んでいて最も気になって最も手をかけた患者さんがいます。9年前に先輩医師からの紹介で診察し始めました。その頃20歳で看護学生でした。とても優秀でしたが、非常に繊細な神経を持っていて、実習先の看護師のきつい言葉ですぐに傷ついて落ち込みます。そんな自分が情けなくて実習に出られなくなってしまいます。何とか看護師になっても、実際の現場で患者さんが死亡したり、自分の未熟さを責めたりした時には、私の外来で泣き崩れてしまいます。夜に私の携帯に電話してきて、死にたいという彼女を何度も説得して落ち着かせました。調子の良い時はとてもチャーミングで可愛いい女性ですが、精神的に調子が狂うと一目で分かるほど感じが変わります。職場を2回変わって徐々に看護師としても力をつけて来て、精神の方も少しづつ安定して来ていましたが、時々は精神のバランスを崩してしまいました。
しかし、私の話を心の底から聞いてくれて義理堅く、精神科の先生に紹介してもこちらに帰ってきます。また、新しく病院に勤務する時は私が何があっても頑張って3年は勤めようと進言すると、きっちり3年は勤務します。
そんな彼女が最初のころ「先生、私は良くなりますか。もし良くなるとすれば何時ですか」と質問して来ます。私は「社会人として看護師として経験を重ねて30歳位になって、もっといい女になって良きパートナーができれば治るよ」と答えていました。かなり苦し紛れの言葉ですがそうなって欲しいとの私の願望でした。実際は難しいかもねと思っていましたが、まんざら不可能でもないし、最大限の良き縁に恵まれるとそんなこともあるかもしれないと彼女に暗示をかけました。
4年前に私のクリニックで働きたいという彼女の申し出に、もしこのクリニックで私の部下になって人間関係につまずいたら、泣きついて行く場所がなくなるから近くの病院に紹介するよと言って、ほんの近くの病院を紹介しました。そこでも上司や同僚の言葉に傷つきながらもどんどんと力をつけてきて、徐々に立派な看護師になっていきました。笑顔は素敵で患者さんや医師からも可愛がられているようでした。2年位経過した時に好きな人が出来て付き合っているとの報告があって、その人が北海道から一時的に応援に来ている研修医であることを聞かされ、どうか上手く行くように祈っていましたが、彼が北海道に帰ってしまって遠距離恋愛をしていると相談されました。距離が離れると少し縁遠くなるのでは心配していましたが、それを乗り越えて1年後に結婚することになったと聞いた時は本当に嬉しく思いましたが、実際に結婚するまではまだ油断できないと私自身は思っていました。もしこのまま上手く行けば、彼女は私の予言通りに30歳前に立派な看護師になって、いい女になって良縁に恵まれて病気も治ることになるストーリー通りになるなと思いました。
今年の初めに外来に来た時に「5月20日は私の結婚式で先生に乾杯をお願いするから、何があっても空けておいてね」と言うもので手帳にしっかり記入して、かなり肩の荷が降りました。そしていよいよ結婚式当日となり、私は少しばかりの今までの彼女の経過をスピーチで話し、新郎にアドバイスをしました。彼女が精神の病のことはスピーチで話しても良いよとの申し出があったので、正直な9年の経過とほっとした心境をお話しました。新郎は飾り気のない素朴な青年で癒し系の医師でした。そのことにもほっとして、やっと私の代わりをしてくれる人が現れたとかなり安堵しました。
式も和やかに経過して、新婦のお色直しの時間がやってきました。司会から「9年間、お父さんお母さんと同じくらい私を支えてくれてありがとう。先生の言う通りいい女になったでしょ。これからもよろしくお願いします」とのメッセージを読み上げられて、エスコートを依頼されました。一緒に手をつないで歩いている時に彼女が先生のお陰で今日の日があるのでどうしてもこれをやって欲しくてサプライズを計画しましたと話してくれました。
精神科のトレーニングを受けてない私ですが、時々精神疾患の患者さんが来院されて、未熟ながらもその人のことを一生懸命に思ってあげるだけで何も出来ないのが実情です。患者さんからこのような贈り物をされたのは初めてで、感無量になって、涙が止まりませんでした。
半年前に外来で彼女から「先生は私のような厳しい患者を治せたんだから、心療内科の免許皆伝を私があげる」と言ってくれましたが、これから精神疾患の患者さんを診ていく自信もなければ、十分な時間も私にはありません。ただ一つ彼女を通して学んだのは、どんな患者さんでも精神のバランスが良くなることをあきらめてはいけない。その患者さんの将来において可能な範囲で最大限幸せになるルートを考えてあげて、暗示をかけてあげることも大切だなと思いました。
また、彼女が私にくれた贈り物のように感謝の気持を形で表すことも大切なのだなと思いました。いつも私を支えてくれている妻や家族、職員に対して感謝の気持を形で表すことが大切なのだと思いました。この患者さんは感性の鋭い人なのでそのことを良く理解していて「先生、いつも当たり前のようにあなたの世話をしてくれている周囲の人に感謝の気持ちを忘れないでね。」と言ってくれている気がしました。娘を嫁に出して娘から助言を受けているような心境にになって、不思議な気分になりましたが、久しぶりに心の底から嬉しかった出来事でした。