「間」の役割
自分の人生を振り返ってみて、同じ行動をしているのに同じことを話しているのに上手く行く時と行かない時があります。それはどうしてなのかこの年になって考えるようになりました。その正解は「間」の取り方の上手下手によるものではないかと考えます。
自然界では、動物も植物も絶妙の「間」でお互いに共存しながら生きています。備わった遺伝子と変わりゆく環境に合わせた生き物の適応力が自分の子孫に繋ぐ仕事をしています。植物は秋の決まった時期にに実をつけて動物に食べてもらい、排泄物として各地に種を落としてもらって自分たちの子孫を増やしていきます。誰も教えてないのにお互いに絶妙の「間」で暮らしているのです。
スポーツの世界では例えば野球でいうとプロに入る選手はすべての選手が筋力瞬発力などそれぞれ秀でた素質をもっていますが、その中で成功する選手と去っていく選手に分かれるのは何がそうさせるのでしょう。運もあると思いますが、その運も含めて「間」の取り方の上手下手によると考えます。ひたすら練習しなくては行けない時期にリラックスしてみたり、逆に無理しては行けない時期に無理したりする選手は間違いなく大成しません。最も「間」の取り方の上手な選手はイチローでしょう。朝起きる時間、寝る時間、練習する時、休む時など全てが野球で長く良い成績を残すための「間」の取り方が上手なのだと思います。また、彼は打撃に関しても投球に合わせたヘッドスピードの調節とタイミングの取り方が絶妙です。野球の技術と生活すべてにおいて「間」がパーフェクトに近いと思います。もし、イチローが自分で考えて「間」をとっているのであれば将来良い指導者になるでしょうが、何も考えずに持って生まれた素質で「間」を取っているのであれば、指導者になって若い選手に指導しても理解されないでしょう。それは後の楽しみにとっておきましょう。
自分の人生を振り返ってみても、若い頃がむしゃらに生きている頃は「間」など考えたこともありませんでしたが、今になって考えてみると失敗した時は「間」が悪く、成功した時は良い「間」で行動していたように思います。これは人に教えることは出来ず、自分で自分に合った「間」を見つけるしかありません。一つだけ息子の「間」の取り方を見ていると若いころの自分に似ているなと思います。だから、息子の失敗が私には予測出来るのだと思います。歌舞伎などの伝統芸能の世界で、遺伝子を引き継いだ息子に代々引き継がれていくのは理解できます。親子にしか理解できない「間」の伝承があるように思います。
自分に合った最適の「間」を習得するにはどうしたら良いのでしょうか。一つは自分の親の失敗と成功を検証してみましょう。そこには自分の遺伝子の半分を共有した親のとった行動の良い「間」と悪い「間」があって、今後予想される自分の人生の岐路での参考になる資料があるはずです。また、出来れば小さな事柄での「間」の取り方のチャレンジを沢山して、多くの失敗を沢山してそこから「間」の取り方を学ぶべきです。失敗を恐れてチャレンジしてみないと一生良い「間」とは縁がなくなります。運が良い悪いの決め手は「間」の取り方にあるように最近思うようになりました。ただぼーっと待っているだけでは運は転がりこんできません。幾度もチャレンジして失敗を重ねてその原因を検証して行くうちに良い運に恵まれてくるのではないでしょうか。
会議の席で話しの流れに逆らって核心をつくべきか、間違っていると思っても流れにまかせた方が良いかは経験を積むと分かってくるようになります。いつも会議で吠えていては誰にも相手にされなくなるし、いつも黙っていては甘く見られて無視されるようになります。日本で生きている限りは「間」を大切にしないと上手に生きていけません。もしどうしても理解できない人はお茶を習ってみると良いと思います。私は三斎流という茶道を家元から習っていて、お手前は出来ませんがお茶席で飲める様になりました。お茶の作法の一つ一つに相手を思いやる絶妙の「間」の文化があります。日本の美しい侘び寂びの思想は利休から始まったお茶の作法に短く集約されているように思います。
私は今年で53歳になります。父が47歳で他界して母が80歳で元気です。二人の年を足して2で割ると63歳です。確率的にあと10年は生きれることになります。とりあえず10年間もっと絶妙の「間」を研究してみたいと思います。そして私の遺伝子の半分を受け継いだ息子や娘にも「間」の大切さを教えて行きたいと思っています。