院長の独り言
Monologue

2011.7.31

なでしこジャパンの佐々木監督

ここのところ良いニュースがない中で、なでしこジャパンがワールドカップで優勝したとこで多くの日本人が勇気づけられました。今まで勝ったことのないアメリカに先に点を入れられながら追いついてPKで勝った試合は、少し力の劣る選手が勝つ為の見本のような勝利でした。男子選手と違い年収が多い人でも300万円くらいの選手がお金の為にではなく、自らの夢のために努力した結果の勝利でありますが、やはり佐々木監督の選手と育成のすばらしさと選手の心をつかむ心理学はみごとであります。試合に出ない選手の役割分担もしっかりしていて、全ての21人の選手が一つになっていました。私はこの勝利を佐々木マジックと呼びたいです。
 この佐々木監督にそっくりな人が島根の剣道界にいました。私が中学1年の時に邑智郡の大和中学に新卒で赴任してこられました小村美正先生です。大和中学は県大会に出ても全く活躍できない学校でしたが、小村先生が来られて県で1番の剣道部にするからと宣言してくれました。そこから普通は苦しい稽古が始まるのが普通の熱血先生の行動パターンですが、小村先生は違いました。苦しい稽古や先生にかかっていくいじめの様な稽古は一切なく、全てがスポーツ科学と心理学を上手に利用した素晴らしい練習でした。個人個人の競争意識や試合に負けた悔しさが引き起こす本人のやる気を利用してどんどん強くなって行きました。中学校時代は剣道が楽しくてしょうがない気持ちをずっと持ち続けることができました。レギュラーになると白袴と濃紺の上着を着て試合をすることが出来て他の学校の選手から大和中学校のレギュラーと分かって試合運びが少し有利になったりしました。
 土曜日曜になると出雲部の中学校や高校に練習試合につれていってくれて、試合運びも上手になっていろいろなの優勝を独占するようになりました。小村先生が赴任されて3年計画の3年目最後の全国大会の予選も兼ねた県大会でそれまでキャプテンで中堅だった私を大将にもってこられて、お前と心中するからと話してくれましたが、3年生が二人だけのチームで浮き足立ってしまい、準決勝で慣れない大将戦になって私が負けてしまいました。個人戦もベスト4止まりでもう一人の相棒も2位で先生の期待に応えられませんでした。先生にごめんなさいと言ったところ「お前は剣道で生きて行くわけではないので気にするな。良い医者になって頑張れ。来年は優勝するから」と言ってくれました。普通の剣道の先生ならどなられるのが定番ですが、小村先生は違いました。
 1年後は大和中学校剣道部は団体で優勝して全国大会に出場しました。その後も度々全国大会に出場する強豪校になりました。さらに、小村先生の指導でその頃のキャプテンを大社高校に進学させて、大学でも剣道をさせて現在県内の多くの中学校で体育教師として剣道の指導をしている後輩は沢山います。大和中学を離れて出雲部の中学校に新しく赴任する度にその学校を剣道の強豪校に育ておられます。相手の力が上でも小村先生の言う通りにすれば勝てることが多く、小村マジックと呼ばれていました。中学生といえども一人の人格を持った人間なのですが、多くの剣道指導者は自分の思い通りにならない時には、人格を踏みにじるような言動や行動を起こしますが、小村先生は全くそのようなことはなく、終わってしまったことはしょうがない。これから先のことを明るく考える先生でした。
 なでしこジャパンの優勝で大いに喜んでいる最中に、残念なことに小村美正先生は61歳の若さで他界されました。400人余りの多くの教え子達に見送られた玄関まで人があふれる葬儀でした。若い頃からC型肝炎があり、肝硬変から肝臓癌へと進んだ病気の経過でした。私は教え子の中で医師になって開業していましたので、最後の12年間の週3回の注射のお手伝いをしましたが、見事な戦いでした。’7、8年前に肝臓癌が認められましたが、その時自分の教え子が県大会で優勝して全国大会に向かう時で、全国大会に旅立つ数日前に県中で癌の治療をして引率されていました。55歳で病気と戦う為に退職されました。退職後も自らも国体のメンバーを勝ち取って、それに出場する直前にやはり癌の治療をして出場していました。肝機能も随分悪くても私が出場可能の診断書を国体の事務局に提出して国体に出場していました。昨年は自らが引っ張ってきて死ぬまでにやらなければいけない大きなイベントである全国中学剣道大会を仕切り、平田中学男子3位、女子個人2位という立派な成績をおさめました。私も救護班で手伝い一緒に喜びを味わう事が出来ました。
 最後はやせて哀れな感じがしていましたが、自分から剣道をなくしたら何も残らないので、死ぬまで剣道をやらしてくれと何時も言っていましたので、足が立つ間は剣道をして小学生や中学生の指導を行っていました。亡くなられる1週間まえに病院に見舞いに行ったのが最後でしたが、その時も小さな声で最後の教え子の警察官1次試験の結果を気にしていました。剣道に命をかけた一生で島根の剣道のレベルの向上に最も力を注いだ先生であることは間違いありません。大社高校が全国大会で2位、3位とここのところ活躍していますが、小村先生が小学生から高校生まで広く剣道のレベル向上のために作ったシステムが作動している結果と私は思います。
 なでしこの佐々木監督と小村先生は私から見るととても良く似ています。あの様な指導者がどの世界でも必要です。自分の成功の為ではなく、選手の成功のために指導して、良い結果がでれば選手の努力の賜、悪い結果がでれば監督の指導不足と考えられる指導者であります。また、佐々木監督も小村先生も同じだと思いますが、力のない弱い選手への気配りが素晴らしいのです。みんなが強くなれる訳ではないので、どうしても落ちこぼれが出てきます。その生徒へ対応が非常に愛情のこもったものでした。多くの暴れん坊の生徒が小村先生のお陰で救われています。
 今までの私自身の人生観に小村先生ほど影響を及ぼした人はいません。診療や研究で行き詰まった時に、どんなピンチでも勝つためにあらゆる戦術を考えることを教えてくれた小村先生の影響で、ピンチにいろいろなアイデア浮かんで来るようになっています。医療をやっていると、生活の負け戦を経験した人が沢山来院されます。そんな時も小村先生が教えてくれた弱くなった人へのいたわりの気持ちを持つことが出来ます。どんな時も相手を思いやる気持ちを持つことも教わりました。今後もあなたに教わった武士道の精神を忘れずに多くの人を助けたり、多くの後輩を育てて行きたいと思います。
  こうして書いている間も涙が止まりません
  小村美正先生 ありがとうございました
            安らかにお眠りください