面白い落語
落語を聞くことが私の趣味の一つです。もっとも好きな落語家は古今亭志朝ですが、もう故人になってしまったのでCDしか聞くことができません。次に好きな
のは柳家小三治です。今生きている落語家の中では最も名人らしい人だと思っています。その小三治がテレビで良い話をしていたのでご紹介します。
「面白い落語をするためには、面白くしゃべらないこと」と言っています。これはどういうことかと言うと、職業においてもスポーツでもそこで成功したいと思ったら、姑息な手段を使わずに正攻法でその道を究めた時に、そのご褒美として結果がついてくるという意味です。
落語でも漫才でうけをねらってしゃべっても人はうけてくれません。本当にその道を究めた話が出来たときに人の心は動きます。たとえば剣道でも勝とう勝とうという思いが強すぎる時には勝てないものです。無心に剣の道を探求して相手の心理を分析して、自分の技や自分の心の強さを鍛えていった時に勝利は自分に傾いてくれます。商売において儲けよう儲けようと思っている時には上手く行かず、客を喜ばせてあげようと考えて働いた結果として儲かるようになるものです。子供の教育についても、勉強の結果を出そう出そうと思っているうちは結果は出ずに、勉強を楽しむことが出来るようになった時に勉強の結果が出てくるものです。
若いうちは中々このことが分かりませんが、いろいろな失敗を重ねて何かの瞬間に勝ち戦を経験した時に初めて気がつくものです。私は島根大学医学部で漢方薬を教えています。医学部には社会でいろいろな経験をして入学している学生が沢山います。高校生の時に医者になりたいと思ったがとても医学部に入れるような成績ではなかったが、他の学部の大学で勉強していて突然勉強が面白くなって、医学部に再入学しましたという学生が沢山いますし、社会人として働いていくうちに勉強をもう一度勉強をしたくなって高校生のころ入りたかった医学部を目指したら、1年予備校にいったら合格しましたという学生もいます。その学生達の話を聞いていても高校生の受験戦争の点取り勉強の中では、本当の意味での真理の追究は出来ませんが、大学などで本当の意味での学問を経験した時に初めて勉強の面白さが理解できて、何年もかかって結果が出たのです。年を取って医学部に入っているので記憶力はとても現役生にはかなわず、その分勉強量も多くないとついていけませんが、人間として厚みのある分は良い医者になる条件が整っています。
人それぞれ現在の立場も状況も違いますが、その人の歩む道で目先の結果を求めずに真理を追究していくことが、最も最短で結果を得ることのできる方法ではないかと考えます。柳家小三治はその事が言いたいのではないでしょうか。