院長の独り言
Monologue

2011.2.23

江ノ電に乗って

先日息子の受験について関東に行った際に、鎌倉まで足を伸ばして江ノ電に乗りました。テレビでみのもんたあたりが江ノ電の旅を特集しているのを見ていて一度行ってみたいと思っていました。朝受験会場に息子を連れて行き、夕方迎えに行くまでの時間を利用して、始発の藤沢から適当な駅で降りて寺を巡りながら終点の鎌倉まで行きました。
 江ノ電は100年前に地元の資産家が私財をを投じて開通させたもので、トンネルは当時のまま利用しています。私はこの江ノ電に乗って大変に感動しました。一番前の車両の運転席のすぐ後ろの席に座り、運転手と同じ気持ちになって江ノ電を楽しむことができました。電車がおのおのの家のすぐ裏を通って洗濯物を干している人がいたり、踏切もないところを適当に渡って自分の家に行く人がいたり、あるところでは電車が道路を通る市電のようになっているところもあり、自動車が電車がくるぎりぎりに脇によけたり、電車と人々と町がお互いに気を遣いながら見事に共存しているのです。電車の30分の旅ですが、その中に庶民的な町並みがあり、江ノ島やプリンスホテルの様なリゾートもあり、何と言っても海の景色もすばらしく、前菜から始まる会席料理を楽しむような時間でした。
 さらに、適当な駅で降りて寺を巡る際に、地元の人に道を聞くととても親切に教えてくれます。東京でも思いましたが、都会の人が冷たいともうのは我々田舎物の錯覚です。都会でも田舎でも親切な人は親切です。江ノ電ののどかな風景は今まで私が経験したことのないくらい心を和ませてくれました。私が生まれ育った邑智郡美郷町は確かに手つかずのきれいな風景はあるのですが、人が歩いてなくて人々の生活を感じることができないので何か不安な気持ちになります。医師として最初に赴任した日原町から柿木村にかけての風景もきれいですが、やはり人と接触することがなく不安になります。
 私自身にとって心を和ませてくれるのは豊かな自然もですが、もっと大切なのはそこに住む人々の豊かな人間性であることに気がつきました。その両方が江ノ電沿線には備わっていると感じました。藤沢から鎌倉まで乗って鎌倉で大仏さんや鶴ヶ岡八幡宮や円覚寺、けんちん汁の発祥の建仁寺などを見学して鎌倉時代からの日本の文化にも接することができました。鎌倉はほとんど町並みが昔のままのようで、大きなビルもなく風情のあるものでした。芸能人が沢山住んでいる理由も分かる気がします。
 江ノ電の少しの時間の旅は、息子の受験の心配をしている生活をしている私のとって何よりのなごみの時間となりました。それはパワースポットと呼ばれている出雲大社や須佐神社では味わえないより現実的な癒しになりました。
 人間は、一年365日24時間ずっと頑張ることはできません。どこかで江ノ電の様なほっとするひとときや手を抜く時間が大切です。医者の世界でいつも同じように一生懸命に勉強ばかりしている人には飛躍的なアイデアは浮かびません。また、複雑な患者さんの心理も読み取ることはできません。私を育ててくれた小林祥泰院長が主催されていた島根大学神経グループにはよく遊びよく学びの風潮があり、学会前はふらふらになるくらい勉強して、いざ学会が終わると徹底的に遊ぶメリハリがありました。開業して12年目になって習った神経学はほとんど忘れましたが、よく学びよく遊びの精神は染みついていて、今でも仕事をしてない時は一生懸命に余暇を過ごすようになっています。それが今もこの仕事を続けられる秘訣のように思います。小林祥泰先生にはその点を感謝しています。
 今後私は心に傷を持った時には江ノ電に乗りに行くことにします。行けないときは心の中にある江ノ電の風景を思い出して危機を乗り切ることにします。皆さんも私のように心の中の江ノ電を見つけませんか。どんなにピンチの時もそれくらいの余裕があれば、多くのことは乗り切れるような気がします。