院長の独り言
Monologue

2011.1.22

心の中の忠臣蔵

1月の13日に医大の外来の帰りに何もすることがなくて映画館に行きました。たまたま時間的に上映時間が一致してた最後の忠臣蔵という映画を見ました。もともと私の誕生日が12月14日で赤穂浪士の討ち入りの日で忠臣蔵は大好きなので、久しぶりの忠臣蔵を楽しもうと思いました。この忠臣蔵にとんでもなく感動しました。
 映画のあらすじは討ち入り後の話でした。寺坂吉右衛門(佐藤浩市)という討ち入り浪士は、討ち入りの後にいろいろな人に討ち入りの様子を知らせたり、討ち入り浪士の家族が路頭に迷ってたら助けるようにと大石内蔵助に命令されて切腹をせずに生きた話は有名です。当時の武士道では潔く切腹することが美学で、憲法のようなものなので本人としては不本意で武士の本懐をとげられなかったことへの悔しさは当時の常識からは計り知れないものだと推測できます。
 今回の映画はさらに上を行く世間からはばかって生きた赤穂浪士の物語です。瀬尾孫左衛門(役所広司)は代々大石家に仕える家来で、討ち入りの前夜に大石に呼ばれて大石の彼女が身ごもって京都にいる。討ち入り後はきっと親子で路頭に迷うに違いないので、人に何も言わずに抜け出して親子の面倒を見てくれないかと頼まれます。自分の意にそぐわぬ命令ではあるものの、当時は主の命令に従うことが武士道なので大石の命令に従います。討ち入り後は孫左衛門は武士たちから陰でののしられます。大石の彼女はすぐに死亡して大石の隠し子の可音(桜庭ななみ)という赤ちゃんを一生懸命にとある高貴な武士の娘として育てます。その後立派な娘に育てて、ある日大きな豪商の若旦那に見初められます。娘は孫左衛門を慕うものの自分が大石の隠し子であると知り、豪商に嫁ぐことにします。孫左衛門は可音の母から武士ではなく、商家に嫁がせてくれとの遺言を果たすことになります。そのことが生き残った赤穂の浪士に伝わり、総勢で嫁入りの行列をする場面は壮観でした。無事に主との約束を果たした孫左衛門は共に子育てをしてくれた元芸者の美しい女性(安田成美)の求婚を断って、16年遅れの討ち入りの切腹を果たすという映画です。
 この映画では主人公の人生全てが自らの義に従った骨太の生き方を貫いたということです。自らの義を貫くということはかなりな強靭な精神力が必要で、周りの人の理解も得られにくいものです。それ故にその道を歩むのは誰にもできることではありません。要領よくすり抜けて人生を生きることは実は簡単で、多くの成功者が歩む道ですが、成功したのちに何かやり残したことがあると考えてしまうものです。今はやりのタイガーマスク運動はそんな感覚で起こっている現象と考えます。
 誰しも心の中に人に言えないこれだけは譲れない信念を持っていると思います。複雑な現代社会で生きているとそのことを忘れざるを得なくなってしまいます。一時的には別の方向に進んでも最後は自分の心の義に従った生き方に修正していきたいものです。何百年前の出来事である忠臣蔵での幕府のお裁きは赤穂の浪士に冷たいものでしたが、武士の鏡として今に言い伝えられました。正しいことをするのは安易な道よりもつらいことの方が多いものです。しかしながら長く人生を生きて行くと、そのつらい道の方が価値があって心の中で充実したものになるはずです。どちらの道を選ぶかは本人の自由ですが、時には自分自身の心の中の忠臣蔵を思い出してみませんか。私自身も時に忘れそうになることが多々ありますが、この映画を見たことをきっかけに私自身の心の中の忠臣蔵を生涯忘れずに生きて行きたいと思います。また自分の子供達にもそのことを望みます。