院長の独り言
Monologue

2010.11.29

人間の最後の舞台

一年半前に肺癌の診断をした90歳のおじいさんがいました。結構早期にCTで見つけたので大病院に紹介しました。腫瘍の大きさも2cm以下で体力もあって十分に手術が可能でした。患者さんに告知して手術が勧められましたが、おじいさんはこの歳になって体にメスを入れるのは嫌だと手術するのを拒まれました。抗がん剤も何も投与せずに私が外来で診察することになりました。なかなか歯切れの良いおじいさんで「先生、この歳になって死ぬことは全く怖くなく、ただ私の思いどうりに楽に死なせてくださいね」といつも外来で和やかに笑って話しておられました。当分の間は何事もなく元気に過ごして、病弱なおばあさんの面倒も見ながら自分の体もしっかり管理して、今の癌の進行を自分で説明を聞かれていました。私もこの人は本当に肺癌なのかと錯覚を起こすくらいでした。
 癌が発見されてから1年半が過ぎた頃から徐々に体調が悪くなってきましたが、どんなに苦しくても心を乱したり、嫌味を言ったりすることは一切ありませんでした。私自身も本人との真剣勝負なので内緒で家族を呼んで説明することは一切しませんでした。いよいよ外来に来るのが辛くなってきて往診の依頼に家族の方が来られて、急な往診はなかなか難しい状態である私ですが、最後のおじいさんの面倒を見てあげなくてはと考え快くお引き受けしました。
 初日に往診に伺った時のおじいさんの嬉しそうな顔は今でも忘れることができません。「先生が往診に来てくれた」とかなり喜ばれていたようです。ことの本質はそんなことではなく、自分の寿命が燃え尽きようとしている時に、私への感謝の気持ちやおばあさんへの思いやりや家族への愛情は見事なものでした。人生の先輩に大きなことを教えて頂きました。
 月曜日の朝に胸が苦しくて来てほしいとの依頼があって、看護師長と一緒に外来前に往診していよいよ麻薬を使って楽に逝かせてあげる時期が来たと考え、予め家族と本人と相談していた通りに大病院に送りそれから5日後に永眠されました。最後まで先生が往診に来てくれて嬉しかったと家族に言っておられたことを聞きました。患者さんがいよいよ最後の場面にさしかかろうとしているのに医者になって良かったと思いました。
 人の命を助けたり病気を治して感謝されることも医者をしていて大変嬉しい瞬間ですが、人の命の最後にかかわって医師としての生きがいを感じる瞬間も時々あります。人間の命の最後の場面は最も尊いもので、本人にとっては人生の最後の大舞台です。その大舞台に際して、本人や家族が望むように舞台演出をしてあげるのも医者としての大きな仕事なのですね。その舞台にはいろいろなパターンがあると思いますが、あくまで本人の希望が主体で次に家族の希望が大切で、出来る範囲で医師として一生懸命に施してあげることが大きな役割だと考えます。大病院では毎日のように誰かが永眠されて日常の出来事ですが、逝く本人にとっては最後の大舞台であることを我々医療サイドは考えなくはいけません。
 今は医師と患者さんとの信頼関係も難しい時代で時々心が折れそうになることもありますが、何とか踏ん張ってより満足度の高い医療を行うべく毎日の努力が必要ですね。その努力が出来なくなった時はきっぱりと医者を辞める覚悟は出来ています。一日一日積み上げながら頑張りたいと思います。