プライド
最近の世間をびっくりさせたニュースの一つに、厚生労働省の局長の事件での検事の証拠隠滅事件があります。大阪地検の特捜部長までもが、そのことを知りながら流そうとしたようです。刑事事件の真実を追究しなくてはいけないはずの検察がこのようなことをするのは、前代未聞のとんでもない事件です。
なぜこの様な事件が起こったのかを検証してみました。それは、世の中で一般的に権威のある職についている人に生じやすい反応であると私は考えます。刑事事件では起訴されるとほぼ90数%位の確率で有罪になると言われています。その数%の無罪になった事件を担当した検事は左遷され、出世をあきらめることが多いそうです。検察は間違わない、間違うわけにはいかないとの認識があるからこのようなことが起きるのです。人間がすることですから誰でも間違うことはあります。捜査段階で冤罪であることに気がついたら、素直に謝って真実を伝えるべきなのです。この事件をきっかけに検察庁が変わってくれることを祈っています。
この様な出来事は検察庁だけの心理ではありません。かつて医学界でも同じようなことを行っていました。医者の中でも特に権威のある病院の医師や名の知れた医師は間違いがない、間違うわけにはいかないとの認識から真実を伝えない傾向にありました。しかし、マスコミを初めとする世論に散々叩かれて、今では多くの有名な病院の医療ミスも早く認める傾向になってきました。世論の行き過ぎた批判の中で萎縮医療になる場合もありますが、やがてたどり着くあるべき患者さんと医者の関係になる過程だと思っています。
法曹界や医学界だけではありません。役人や会社員の世界でも地位のある人の発言には、間違っていても下のものが否定できない傾向にあると思いますが、ここで権威のある人達に考えてもらいたいのは、自分の過ちを認めて誤ることは決して自分にマイナスにならず、むしろプラスになる世の中になってきたということです。部下や世間の人が尊敬するのは、真実を追究して自分に判断ミスがあれば早く認めて軌道修正する人です。世の中は大きく変わろうとしています。いろいろな状況に応じて的確に判断できる人をリーダーとして求めています。
かつての私自身も同じような深層心理があったように思います。いろいろな経験をして自分自身が変わってきて、今ではかなり素直に自分の過ちを認めることが出来るようになりました。こうなって見ると私に権威的に圧力をかける人に対しては、愚かな人だと軽くかわすことが出来るようになりました。大人の対応でその場を収めて、心の中であなたは古い世界で生きて行きなさいと思えるようになりました。
人間は親から貰った性格的な遺伝子は変わりませんが、環境に適応する能力は持っています。その能力こそがこれからのリーダーには必要と考えます。上の幹部だけの会議では何も建設的な意見はでません。末端で働く人やユーザーの意見や要望にこそ、その組織が大きく改革できるヒントがあります。
プライドを守って真実を歪めるか。プライドを一度は捨てて真実を追究するか。どちらの方向に進むかは自分で選択することができます。一度はプライドを守る方向に進んでも、真実でない限りは誰かに見破られて結局プライドがずたずたになるのはこの検察の事件が教えてくれています。
人間はいろいろな人との関わりの中で、人の世話になりながら生きています。その中で立場の上下がありますが、出来るだけ下のものが意見を言いやすい組織を作っていければ全ての人が幸せになります。プライドは表面的なものだけではありません。時には権威をすてることが出来る能力をもてることも一つのプライドだと私は考えます。