院長の独り言
Monologue

2009.6.30

二つのタイプ

スマップの草彅剛が公然わいせつで逮捕されて世の中が大騒ぎになったことはみなさんのご承知の通りです。また、新型インフルエンザが世界的に大流行して日本でマスクが不足して大騒ぎになりました。一つの世論が流行するとひとまずその流行に乗って大騒ぎするのは、日本人の伝統的な現象です。ほんの60年前には日本はその特性からか勝ち目のない戦争までやってしまいました。2回のオイルショックではトイレットペーパーなどに群がる日本人の姿がありました。ひとたび世論が形成されるとそのことについて大して勉強もしてないのに、対象の人を批判したり差別したりするのも日本人の特性です。しかし、最近少しづつ若者を中心にその行動が変化しつつあります。ことの善し悪しは別にして、しっかり自分の意見をもって大勢に立ち向かう人が以前よりは増えてきたように思います。儒教的な目上の人を敬う姿勢が現代の若者になくなっていると嘆かれる昨今ですが、逆にかつての様に全国民総動員で戦争に向かい、戦争に負けた途端に古い日本の伝統まで否定してしまうことは今後ないのではないかと思います。私は現代の若者を少し頼もしく思います。まだまだ時間はかかるでしょうが、マスコミが世論を形成してもそれに惑わされずに、しっかりと自分の意見を持って行動する新しい日本が形成されていくような気がします。
 大学院で研究している時に研究の方法についていつも考えたことがあります。研究者には二通のタイプがあります。ひとつは多くの論文を読んで現在の流行を常に察知して、二番煎じでもその流行の研究をして極めて標準的な論文を多く出して論文の数で勝負していくタイプです。もう一つは現在流行の論文は読まずに物事の真理を追求するための勉強はして、自分で考えて時間はかかってもオリジナルな研究をしていくタイプです。後者は一つも研究成果がでない可能性もある代わりに、当たれば世界的な研究者になることもあります。ノーベル賞学者は当然後者です。私は大学院時代に後者を選びました。おかげで一つ二つ当たりがあり、脳アミロイドの研究で今でも論文に引用されることがあります。そこで自分の限界を知って研究から手を引いて後輩に託して、漢方薬の世界に入りました。漢方薬の研究でも一つだけ今でも引用される論文があります。医療経済に及ぼす漢方薬の役割を追及したものですが、漢方薬を使用すると薬剤費が下がる証明を療養型病床で行ったものです。その論文のためにツムラの株は上昇して、多くの西洋医学の医師が漢方を使うようになりました。それは決して私が優秀であった訳ではなく、流行に左右されない主義を守ってきた所産なのです。前者の研究者と違って論文の数はそれほど多くなく大学で出世した訳でもなく、これといった名誉をもらった覚えもありません。上司にもいつも本音で言いにくいことを言うので煙たがられて、引き立てて貰った覚えもありません。しかし、どんな状況になっても自分で考え、たとえ間違っていても自分で決断することができます。
 現代の若者を見ていると少しづつですが、後者研究者の匂いのする人が増えてきているように思います。今日本が大きく変わっていかなければならない時期なので、彼らに日本の将来を託してみたく頼もしく思っているのは私だけでしょうか。 自分の息子や娘にも自分の考えをしっかり持って、たとえ大人の価値判断と違っても自分で決断して生きて行ってほしいと考えています。来年は長女は高校受験で長男は大学受験です。二人ともすでに親の言うことは聞かず、独自の考えを模索しています。時間はかかっても良いので主体性のある人間になってほしいと思います。二人の子供の行く末を黙って見守って行きたいと考えています。