院長の独り言
Monologue

2009.2.23

命がけの仕事

まずはアキレス腱断裂後のその後の報告をしておきます。1月26日にアキレス腱縫合術を島根県立中央病院のT先生に上手に行って頂きました。1泊の入院でしたが大変勉強になりました。昔と違って看護師さんの言葉がきちんと教育してあってきれいであることに感心しました。夜勤に入る看護師さんも各部屋に必ず名前を名乗って挨拶されました。マニュアル的ではありましたが、とても感じの良いものでした。あれだけの職員がいるので、個人の話術の能力に頼っていては必ず落ち度が出てきます。患者さんを不愉快にさせない言葉使いをさせるために、ファミレスの様な教育はある程度必要と考えました。先生からの説明もきちんとしていて手術をする場合もしない場合も、再断裂をすることが少なからずあり、手術をしなければ2か月ギブスをしておくこと、手術をすれば1週間でギブスが外れると説明を受けて迷わず手術を選択しました。但し、私は毎日100人の患者さんを診察する義務があり、悠長に2週間も入院しておれません。そのことはT先生も理解してくださり、1泊入院による手術となった訳です。無事に手術も終了して、翌27日から私の壮絶な戦いが始まりました。1週間のギブスは外れてもアキレス腱は糸でやっと付いているだけなので負荷をかけられず、きちんと固定しておかなければなりません。しかし、毎日車椅子や松葉杖で診察室やレントゲン室を移動したり、胃カメラを試行するに際してどうしても足に負荷をかけてしまいます。ギブスをとった直後は細く情けなかった左足も徐々に筋肉が元に戻りつつあって、1週間に一度T先生の診察を受ける際に毎回負荷のかけすぎであると注意を受けました。ついに2月19日に診察した際には、先生にあきれられてこれは世界一早いリハビリの進行であると皮肉を言われました。今後どうなるかは自分の経験や論文の世界では未知との遭遇であると告げられました。自分では落ちた筋肉が回復しつつある感覚が分かってきて、転倒などに気をつけて一気にリハビリを進めて行くのが最良であると勝手に解釈しています。神経内科のリハビリは脳血管障害後にかなり早期に始めるようになっているので、自分の体を人体実験にしてアキレス腱断裂後のリハビリをかなり早期に始めて見た訳です。先日このことを師匠の島根大学医学部付属病院長の小林祥泰先生に話したところ、自らの腰の手術後の経験から賛同してくれました。細胞は一定期間働かなくなると回復するのに何倍もの時間が必要であるので障害後はなるべく早期のリハビリが望ましいとの神経内科的な考え方です。一般の方は真似しないでください。整形外科の手術の場合は傷が治って腱や筋肉が正常に働くのに時間を要するので、そのことを妨げない程度の大きな負荷をかけると再断裂してしまいます。再断裂は予期せぬ転倒などで無理に負荷がかかった時に起こるのです。かなり危ない橋を渡ってT先生には内緒ですが、ギブスをはずして2週間で装具なしで自力で立てるようになりました。働く時は装具を付けますが、家では外しています。多くのケースでアキレス腱の手術後2週間位入院することが一般的であることを考えれば、最短の社会復帰であると考えます。この分だと3月にはゴルフが出来そうです。
 長い前置きはこの位にしておいて、本題に入ります。 命がけの仕事という言葉を使いますが、やっとその意味が分かるようになってきました。俳優の緒形拳が昨年肝臓癌で逝去されました。その少し前まで風のガーデンというドラマの撮影を行っていたのです。そのドラマは不倫や子育ての放棄が理由で勘当した麻酔科医の息子(中井貴一)が末期の膵臓がんになり、父(緒形拳)や子供の居る富良野に戻ってきて、そのことを父に告げてターミナルケアを専門とする医師である父や娘に看取られて、自分の行ってきた罪を反省しながら、安らかに息をひきとるというストーリーでした。そのドラマのテレビ放映が始まる前に緒形は息をひきとりました。病気であることを家族以外には隠しての撮影であったようです。まさに命がけの仕事であった訳です。緒形の風のガーデンでの演技は自分に言い聞かせるように、最期を迎える息子の中井にターミナルケアの施しをしていました。 私は、命がけの仕事というのは、命が危ない場面での仕事や神経をすり減らして結果として寿命を縮める仕事のこと云うのではなく、いつ何時死んでも悔いのないように、今この瞬間瞬間に全力投球することである様に思います。緒形は肝臓癌でになる前から、いつ死んでも自分の演技に悔いの残らない様に小さな演技にも、どんなつまらない役であっても全力を注いだのではないでしょうか。だから、本当に死ぬことが分かってもジタバタせずに、何時ものように演技をこなしたのだと思います。緒形拳の最後の演技に悲しさよりもすがすがしさを感じたのは私だけでしょうか。
 明日死ぬことが分かっていたら、皆さんはどのように今日を過ごしますか。考えてみてください。それぞれ異なると思いますが、人に意地悪を最後の日にしようとは思わないはずです。少しでも家族や職場の仲間と仲良く過ごしたいと思うはずです。少しでも今やっている仕事の中で社会に役立とうと思うはずです。それが命がけの家庭生活であり、命がけの仕事であると思います。いつも、多くの人の命を預かり、生命の根幹で働いている私が常日頃考えていることです。人間はいつかは必ず死にます。それだけは平等です。せめて何時死んでも良いと思うように後悔のない毎日を過ごしましょう。その生活の一日一日の連続がつながって、その人の一生が規定されると思います。それが一期一会の精神であるのではないでしょうか。