院長の独り言
Monologue

2008.7.1

かっこいい女性

最近、かっこいい女性が増えてきました。5月の独り言に書いた伊達公子もそうです。彼女の活躍は期待してないと失礼なコメントをしてしまったことを反省しています。出産の適齢の時期を今テニスをすることで逃しても悔いはないとコメントしていました。かっこよすぎて惚れてしまいます。藤原紀香の色気も好きですが、伊達公子のようなかっこ良さに大変好感を持つようになりました。
 島根大学医学部で漢方薬の講義を行っています。そこで見つけたかっこいい女子医大生を紹介します。一人はアメリカでの生活歴のある女性です。先日の授業の後にかなり長い間、10人くらいの学生と話をした中の一人です。日本とアメリカの男女つきあい方の違いを教えてくれました。多くの日本人男性は自分に尽くしてもらう代わりに、女性を守ってやろうとか考えるのが普通であるが、アメリカの男性は女性を一人の人間として好きになって結婚する。ずっとお互いが人間として認め合うことが出来れば長く続くが、認め合わなくなった時には別れる。付き合っている時に決して自分の考えを押しつけたりしない。あくまで一人のパートナーとして認め合えるか合えないかの問題のみであると教えてくれました。伊達公子が何故白人のレーサーと結婚したのか理解出来ました。そして、伊達公子の夫が妻を競技に復帰することを勧めた理由も理解できました。どちらが良いかではなくて、現実に社会で活躍するかっこいい女性が増えてきて、そのような女性には、その人の人間性すべてを認めて抱擁する男性必要だということです。
 もう一人の女子医大生も素敵な女性で、男に媚びることなく毅然としています。隠岐の島の50キロマラソンを先日完走して、水泳は得意で後は自転車を克服すればトライアスロンの選手になれる。今年の夏休みは自転車で大阪の実家まで帰省すると言っていました。ただただ二人のトークに感心して、私自身も今まで生きてきた中で、女性を弱いものとして捉えていなかったか反省させられました。  今回の出会いで、かっこいい女性に生まれて初めてであったのは幼少期のころであったことを思いだしました。私の母方の祖母がかっこいい女性だったのです。明治44年生まれで12年前に他界しましたが、子供のころ遊びに行くと孫を可愛がる気配は全くなく、源氏物語や平家物語や親鸞の話などするのです。数学も抜群に出来るおばあさんで因数分解はいとも簡単に解いていました。微分積分は忘れたけどなと言っていました。いつも本を読んでいて家事や子育てが大嫌いで、祖父がご飯を作っていました。夫婦共に変わり者で、男と女が逆転したような感じでした。幼少期にそこに遊びに行くのは嫌いでしたが、高校生くらいになって祖母の偉大さが分かるようになってきて、もう50年遅く生まれてきたらすごい人生を送っていたであろうことを感じました。若い頃は美人で、女子師範学校を1番で卒業して旅館を親が借りてくれてそこで兄弟に邪魔されないように勉強していたようです。晩年は短歌や詩吟などに才能を発揮して、かなりのレベルまで到達しては、威張っている男性の同好者と喧嘩して、また次の趣味に移行するのです。もちろん近所の茶飲み仲間のおばあさんとは話が合うはずもなく、孤独は苦痛ではなく一人で本ばかり読んでいました。私が高校生の時に祖父の葬儀の時に喪主のあいさつをどうするかと葬儀の1時間前に母が聞いたところ、その時便せんにさらさらと挨拶を書いて、これを代読してくれと母に頼んでいました。その緻密な文章に感動したのを覚えています。葬儀で涙一つ見せませんでした。人間の死についての考察がしっかりしていて、人が死ぬことを悟っていたようでした。
 その祖母が最後に私の高校の後輩の病院に入院していて、痰を詰まらせてショック状態にあることを後輩の連絡で知り、尊厳死をお願いしました。入院してぼけた状態でもいつも百人一首を大きな声で読んでいたようでした。祖母の生きた時代は男尊女卑の典型の様な時代で、独身のころ教員として働いていて校長にセクハラで迫られて教員が嫌になって退職して、すこし変わり者の教員の祖父と結婚したようでした。その後は貧しい生活の中でも決して自分の尊厳を失わずに生涯勉強して、男や目上の人に媚びることもなく、世間に認められることもなく死んでいきました。 
 二人の女子医大生を見て、祖母を思い出しました。女性の中にはいろいろあってよいので、彼女達の様に男に頼らずに自立して生きる女性もすばやしいし、女性らしさを存分に発揮して男性を頼りに生きていく女性も、それはそれで普通の女性の生き方です。どちらを選ぶかは本人次第で、男性は少なくとも女性のその時その時の意見を真摯に聞くべきです。私自身もこれから努力していくつもりですし、すべての女性が自分の持っている個性を発揮できる世の中になってほしいと願っています。