私が桑田真澄を好きになった訳
前回の独り言で巨人ファンをやめたことに触れましたが、野球つながりで今回は私の唯一の野球人の中で好きな桑田真澄について書きたいと思います。
桑田は皆さんご存じの通り、PL学園時代に清原と共に高校野球で大活躍した選手です。当時は清原が巨人入りを熱望していてマスコミに大きく取り上げられていました。桑田と清原を比べても清原の方が体も大きく素質のある選手で華がありました。当然、巨人はバッター優先の球団だったので清原を指名するものと誰もが思っていました。ところが当時の王監督が抽選になる清原を避けて、早稲田入りが内定していた桑田を指名したのです。密約説も他球団から流されて、一斉に桑田バッシングが日本中で始まりました。そのころ私は丸亀で研修医をしていて、それまで桑田に何の興味も持っていませんんでしたし、むしろ多くの人に騒がれて好きではありませんでした。ドラフト以来、大方の日本人が桑田は卑怯だ、清原が可哀想だと言い始めて、桑田の態度をテレビで見て彼の思いを察してから、私は桑田ファンになりました。
それはなぜか理由があります。清原が巨人ファンで高校球児のナンバーワンのプレイヤーであったことは、桑田が一番よく知っていたはずです。自分は今のところ清原に劣るし、清原の手前もあってので巨人に入りたいという事は自分の胸にしまっておいたのだと思います。他球団が指名しますとのあいさつもあったと後に語っていますが、同じように万が一巨人が指名したら入団しようと考えたのだと思います。その18歳の高校生がここまで自分をコントロールできたことに、私は彼の非凡なものを感じました。軸がぶれないというか。信念を曲げないというか。18歳とは思えない精神力の強さを感じファンになったのです。
プロ野球に入ってからの桑田の活躍はご存じの通りですが、いつ何時も野球に対する基本姿勢をしっかり持っていて、プロ野球選手として活躍出来ることに感謝の姿勢を崩さず、大怪我をして何回も立ち直りました。最後は巨人を首になっても巨人の悪口も言わず、あこがれだった大リーグの入団を果たして、今年ユニフォームを脱ぎました。桑田は小さな体で活躍するには普段どのような生活をして、どのように練習して、どのようなピッチングをすれば良いのか常に考えて頑張っていました。持って生まれた素質は平凡でも考え方と努力である程度の道は開ける事を証明してくれました。私自身も研修医のつらい時代から桑田の頑張っている姿を見て、自分に活を入れて努力することが出来ました。今はご苦労様と言ってあげたいです。今後立派な指導者になってくれることを期待します。その時は桑田が監督をしているチームを応援することにしています。
リーダーは苦しくても常に軸をぶらさないで目標に向かってないと、下のものはついて行けません。失敗しても理論のある失敗なら、次の成功につながるし、逆にたまたま成功しても理論のない偶然の所産なら、次は失敗につながるからです。複雑になった現代社会でリーダーとして舵取りをいて行くには、目先の利益の為に軸をぶらさずに、常に基本を忘れずに生きて行くことが大切です。桑田なら立派な監督になり、私の人生の参考になるような生き方をしてくれそうな気がします。例え優勝しなくても、選手時代と同じように自分の信念を曲げてほしくないと思います。
私自身、31歳から病院長をやって来て、何のために医者になり、何のために開業したか常に考える必要があります。少しでも多くの人の役に立ちたいとの思いが基本にあるはずです。小手先の利益に走ってはいけないと常に自分を戒めています。その基本を守っている限り患者さんは自分を見捨てないと考えています。どの様な職業でも通じる考えだと思います。