院長の独り言
Monologue

2007.10.1

愛犬の死

9月14日に15年飼っていたシュルテイーのアベルが死にました。人間の年齢に換算すると90歳で大往生でした。私が日原共存病院の院長をしている時に長男が生まれて、その1年後に益田市のペットショップでとても性格の良い犬だと一目惚れして衝動買いしました。長男が1歳だったので、家に来てからはアベルと長男の家族の位置関係を巡った戦いがあり、最初はアベルが優勢で長男は怖がっていましたが、知恵がついてきてアベルの無防備な状態である大便をするときに後ろから玩具のスコップでお尻をたたいて以来、長男の言うことを聞くようになりました。長男と共にのびのびと育っていきました。とてもプライドが高く利口な犬で、人間の言葉も良く理解していろいろな芸ができました。2週間に一度出雲に車でつれて帰っていましたが、3時間の間じっとしていて子供たちよりも良い行儀でいました。ペットショップにシャンプーに連れて行くと、すぐに行くべきゲージに自ら行き、ペットショップのおばちゃんにいつもほめられて自慢の犬でした。そんなアベルも2年前から目は見えなくなり、耳も聞こえなくなり、認知症も認めるようになり年を急激にとりました。1年前からは散歩に行く以外はいつも寝ていました。散歩は目が見えないので段差のあるところは抱えてやり、最後は100m位やっと歩ける位でしたが、死ぬ2日前まで散歩をして,死ぬ直前まで小便大便は散歩中にしかせず、決して自分の寝ているところではしませんでした。そのあたりは生まれた時からのプライドの高さを最後まで保ってくれました。犬も人間もそうですが、品格というものは大切ですね。武士は食わねど高楊枝といいますが、いくら衰えても貧乏になっても品格を失わない人は素敵ですね。日頃外来をして多くの人に出会うとつくづく思います。当院はいろいろな患者さんはいてもほとんど品格のある方なので助かります。自分がそれを望んでいるのでそのような人が集まってくるのだと思っています。ありがたい話です。私自身が品格を落とせば同じような患者さんが集まってきて、もっと品格を上げていけばそれに応じた人が集まってきます。そのことを胸に秘めて今後も精進するつもりです。
 アベルを飼うに当たって子供の教育に関して考えるところがありました。生き物はいつかは死期が必ずきます。人間もどんなに有名人でも金持ちでもいつかは死にます。死ぬことに関してはすべての人間は平等です。死にざまも人それぞれまちまちですが、最近は祖父母を家で看取ることがなく、子供に死生観の教育する場面がありません。今回、愛犬は本当の意味で天寿を全うしたので、最後は子供たちも安やかに逝かせてやってくれと言っていました。最後の日はけいれんも起こしていて意識不明になっていたので、長男は安楽死の方法はとれないのかと聞いてきました。医者として安楽死は薬物では出来ないと答えました。15年間家族同様に生活して、生物としてすべての機能が衰えるまで生きて、最後は家族が望む大往生でした。仏教でいう生病老死のすべてを子供たちに教えてくれたアベルに感謝しています。死後は獣医さんのところにつれていって焼いてもらい、お骨を頂きました。お骨は家のピアノの上に置いてあります。まだ、家族の一員としてアベルが娘たちのピアノを聞いてくれています。