院長の独り言
Monologue

2023.8.28

君たちはどう生きるかを読んで

「君たちはどう生きるか」という映画がジブリが上映しています。先日、家内にこの映画を見に行こうと誘ったところ、この映画を理解するにはまず原作読んでから行った方が良いと言われて、簡単である原作の漫画を読みました。1回読んだだけでは難しくて、2回読んで初めて作者の主題に気が付きましたので、その一部をご紹介します。

 主人公はコペルというあだ名です。戦前の中学2年ですから現在の高校生にあたり、その頃はかなり裕福でないと中学に行けなかったと思われますが、その中でも家が豆腐屋で少し貧しい家庭の浦川君の弁当にいつも生の油揚げが入っていて、裕福な家庭の山口君がいつも馬鹿にしていじめていました。正義感の強い北見君が山口君をいさめるために殴り掛かります。それでも当の浦川君は自分のために戦っている北見君を止めにはいります。山口君を許してやって欲しいというのです。

 いじめっ子の山口君には上の学年に兄がいて仕返ししてやると言います。それでコペル君、浦川君ともう一人の友達の水谷君は北見君を守ることを誓います。

 全校生徒が雪合戦で遊んでいる時に山口君が仕組んで、兄たちに北見君を懲らしめる様に仕向けます。その場にいた水谷君と浦川君は北見君を守ったのですが、コペル君は足がすくんで自分も仲間であると申し出ることが出来ませんでした。それ以来、自分は卑怯者であると自分を責めて学校に行くことが出来ませんでした。コペル君はしばらく学校を休んでいましたが、おじさん(作者)やお母さんに相談して、北見君に謝りの手紙を書いて立ち直ることができました。

 コペル君に残したおじさんの言葉は「人間が、元来、何が正しいかを知り、それに基づいて自分の行動を自分で決定する力を持っているのでなかったら、自分のしてしまったことについて反省し、その誤りを悔いるということは、およそ無意味なことではないか」

「僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。だから、誤りから立ち直ることができるのだ。」でした。

 古来から、強いものが弱いものをいじめることは繰り返されています。そこで弱い人を助けるために立ち向かえる人は真に強い人です。多くの人は足がすくんで弱い人を助けることが出来ません。ですが、そのことを反省して、本当は助けるべきであったと自責して、次にこのようなことがあったら、どのようにしたらその信念に従えるのかは、自分で考えて自分で決めるしかないということなのだと思います。

 弱い人を常にいじめて優越感を持って暮らす人。自分が火の粉をかぶっても堂々と弱い人を助ける人。堂々といじめる人と立ち向かえないが、その行動を反省して陰ながら助ける方法を考える人。自分の人生の中で、その人の背景や自分の能力の変化によって、取っていく行動は変わっていくと思いますが、少数派であっても正しいと思われる方向を目指していきたいものです。それが出来ない時も少なくても、正しい方向を見失わないようにしたいものです。ちなみに作者の吉野源三郎さんは明治32年に生まれて、昭和12年にこの本を児童文学書として発行して、戦争にも召集されて生きて帰って、戦後は反戦運動家として活動されて、昭和56年に没しています。戦争には異議はあるものの召集令状には従って戦地に行き、正しい方向を見失わずにいて戦後に反戦活動を行ったのではないでしょうか。この本は家内が大学で社会科学を学ぶ前に最初に読まされた本なのです。

 今、現在社会問題となっているいじめ、貧困、自殺などを考えるうえで、今の状況で正しいと思われることは何か。また、正しいことをするために勇気を持ってどのように考えて、どのように力をつけていけばよいのかを考えなければならないのだと思います。それを乗り越えた人間はどんなことにも負けない強さを身に着けるのだと思います。

 今日は母の91歳の誕生日です。母が私に身をもって教えてくれたことが、この本の一部に書かれていることを伝えておきます。