院長の独り言
Monologue

2023.5.27

渋沢栄一の孫渋沢敬三について

 来年度から一万円札が福沢諭吉から渋沢栄一にかわります。今回は渋沢栄一ではなくて、その孫の渋沢敬三について述べてみます。

 渋沢栄一は言わずと知れた戦前の日本の経済の礎を築いた方ですが、その子孫についてはあまり知られていません。栄一の長男が遊びが過ぎて廃嫡されて、その息子栄一の孫の敬三が渋沢家の当主に若くしてなりました。東京大学を卒業後に栄一が作った第一銀行に入行して副頭取になった後に戦争中に日銀総裁となって終戦を迎えています。戦後すぐにGHQに力量を認められて、大蔵大臣になって預金封鎖、新円切り替え、財産税などを実行してインフレ対策と国債などの国家債務の整理に寄与しました。

 三菱財閥、三井財閥、住友財閥などと共に渋沢財閥も財閥解体の対象になっていた。そこでマッカーサーが敬三の力量にほれ込んで、GHQに従ったら渋沢財閥だけは解体から除外しても良いと提案しました。

 そこで敬三はきっぱりとGHQの申し出を断って、自ら公職から追放されて自宅も没収されています。その後三菱、三井、住友財閥はいつからともなく形を変えて復活しましたが、第一銀行は公的な銀行として渋沢家とは関係なくなり、宝くじも扱う現在のみずほ銀行となっています。敬三は戦争裁判ではGHQの厳しい追及も受けて証人喚問もされています。多くの政界や財界の人間がGHQの軍門に下って子孫に繁栄をもたらしいているのに、渋沢家は日本の将来のために自ら没落の道を選んだのです。

 敬三は公職追放解除ののちには、現在のKDDIや文化放送を設立していますが、それも軌道にのったら人に任せて自らは民俗学者として生きて行って多くの学者を育てています。多くの商業の基礎を作った渋沢栄一と渋沢財閥を壊して日本の将来に夢を託した敬三は、同じくらい立派であったと私は考えます。敬三はまさに武士であり、自分の欲よりも公のことを考えることの出来る素晴らしい人物だったと思われます。もし、渋沢家がGHQの言いなりになって財閥解体を逃れていたなら、日本の和は乱れて今日の発展はなかったと思われます。

 現代社会においても、公的な立場を貫くか自らの利益を追求るるのかの選択が常にあります。一時的な利益に目がくらんで道を踏み外す人が多々あります。外国なら自らの利益を選ぶ人が多いのでしょうが、まだ日本に渋沢敬三の様な武士の魂が残っていると私は信じたいです。たとえ一時的に自ら損失を被ることになっても、長い目で見れば武士道を貫いた方が幸せになると信じています。