院長の独り言
Monologue

2022.4.24

ある夫婦のお話

 先日、80歳のある男性の最後を見届けました。夫人も私の患者さんで親戚筋にあたるので、夫婦生活50年間の歴史も教えて頂きました。夫婦で商売を始めて幾多のピンチを二人で一生懸命に働いてしのいできたとのことでした。半年前に癌に侵されていて、転移がないものの手術が出来ない場所で余命半年と言われました。最後は家で死にたいとの本人の希望があったので、在宅医療の専門医に往診を毎日お願いしました。楽に逝かせてくださいとの申し出があって、モルヒネを1週間使って苦痛を除去しての大往生でした。本人が死を覚悟した立派な最後でした。本人が死ぬ時と葬式の時に石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」の歌を流してくれとの申し出がありその通りの最後でした。家族も本人の希望を重視しての納得した見送りでした。人間はいつかは必ず死を迎えるわけであり誰も例外はありません。私が考えるにその人の遺伝子や生活環境で死ぬ日は大体決まっていると思います。そこで大切なのは最後の見送り方や最後の患者さんの言葉が最も大切になってきます。その言葉で残された家族はしっかりと生きて行くことができます。

 この患者さんがまだ意識がはっきりしている時に奥様に「お前で良かったわ。お前と一緒で良かったわ」と最後の言葉を残されました。この言葉はまさに本音で本心であり、この言葉で残された奥様は今までの苦労が報われています。

 さらに葬儀の前日の納棺の際に、奥様が御棺に入る夫に「あの世でまた一緒になろうね。待っておいてね」と泣きながら言われました。この夫婦いかに壮絶な人生を二人で協力して歩んで来て成功を得たことがわかります。残された奥様はお前で良かったわと言われたことで、今後の人生をしっかりと歩むことが出来るし、夫の魂もまた一緒になろうねと言われたことで思い残すことなく旅立つことが出来ます。この光景を見て息子たちも親の意志を継いで頑張ることが出来ます。今のコロナ禍での病院では家族の面会も制限されていてこんな光景は作ることができません。この患者さんはとても賢い人でこのことを悟って再入院を拒否されました。

 私が医学部の2年生だった時の43年前に父が死んだ時のことを思い出しました。私が広島の病院に父の最後に駆けつけた時に「ここには母さんだけいれば良い。お前は大学に帰って一生懸命に勉強して立派な人々のためになる医師になれ」と最後の力を振り絞って私を叱ってくれてお別れをしました。私は帰りの汽車の中でずっと泣いていて、隣に座っていた中年夫人が話を聞いてくれたのを今でも覚えています。その後その言葉を胸に刻んで一生懸命に頑張ることが出来ました。

 今回はご夫婦は一生懸命に生きて来たからこそ、お互いに素晴らしい言葉が出てきたのだと思います。日頃の暮らしの中で、どれだけ相手を思いやって生きていけるかが最も大切なことなのです。夫婦でなくても友人などの間でも、最後に「お前と知り合えて良かったわ。あの世でも友達でいような」と思えるような人々と私は付き合っていきたいと思っています。そのためには私自身が最も努力をして、相手に思いやりを持たなくてはなりません。完全にはできないかもしれませんが、妻、家族、職場の仲間、友人などに対して、そんな感覚が持てるように頑張って行きたいと思っています。。