院長の独り言
Monologue

2022.2.24

木も見て森もみる。森も見て木も見る

コロナウイルスのオミクロン株は広がりやすくて弱毒であることは全ての人が認めるようになりました。私は以前からコロナが終息する時は、必ずウイルスが広がりやすくなって弱毒化してから、普通のインフルエンザの様になってからであると言ってきました。それはウイルスが子孫を残すために人を死なせていては広がらなくて、致死率が低くて広がりやすく変異していくのがウイルスとしての種の存続の完成に近くなるからなのです。これで毎年流行するインフルエンザと重症度が同じくらいのウイルスとしての地位を確立できつつあるのです。もし第7派が次に流行してもさらに重症度は低下することでしょう。現在のオミクロン株でも死亡者が0.04%程度出ていますが、これは肺炎にもなっていなくて基礎疾患が重症化するパターンとウイルス感染が引き金となって他の免疫系の疾患を合併するためと思いますが、それは脳神経内科や循環器内科、膠原病を専門としていると今までのウイルスでも多々あることです。コロナウイルスも新型でなくなり既存のウイルスになってきたということなのです。

 そこで日本政府つまり岸田総理が考えることは、ヨーロッパ諸国のように規制を全くかけずに経済優先でウイルスと共存していくのか、今まで通りに感染症2類のままで保健所の管理下において日々の感染者と死亡数を公表していくのかという選択に迫られてくるでしょう。

 ヨーロッパなどの国々はほとんどがキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの宗教がほとんどで、唯一絶対神を信仰していて、大抵の判断が迫られた時に白か黒かの選択を極めて早く行います。一方で日本人は八百万の神を信仰していて神道、仏教が混在した文化で色々な人に気を使って暮らしていますので、判断がどうしても遅くなってしまいます。国も県も市町村の役人の対応でいらいらされたことは誰でもあると思います。今回の場合では、ヨーロッパの様にオミクロン株への対応を緩めて経済を優先させてあげたいと思うことと、それぞれのケースで一人でも重傷者や死人を出したくないと普通の日本人であれば考えます。

 私は31歳から公的病院の院長を経験させて頂いて現在もクリニックの院長をやってきて、どうしても2つの矛盾点への対応を強いられてきました。タイトルにあるように森も木も見ることのできるリーダーが、日本では素晴らしいリーダーであることを若いころから認識してきました。現在斐川中央クリニックには全国から多くの患者さんが私の漢方医療を頼りに来院されます。また近所の患者さんが高血圧など普通の病気で来院されています。時間が限られていますので、往診ができなくなったりコロナの予防注射が出来なくなったりしていて、地域医療の役割が十分に果たせていません。ここでの判断も、クリニック全体の森を見た判断でこのようになっている訳ですが、それでも来院されている地域の患者さんには精一杯気配りをして、現在の私で出来ることは全て行うように努力しています。森ばかりではなくて木もできる限り見るようにしています。

 日本は資本主義国家ですが、世界一の社会主義の形態を取り入れている国であると私は考えています。30年前のバブルの頃の日本が異常で一時的な期間で、古来から日本はユーラシア大陸の端っこの島国で経済が進んでいたのはほんの一瞬であったのだと歴史が示しています。日本は平等の精神が根っこにあって、貧富の差は諸外国ほどではありません。ホームレスになっても生活保護を申請すれば何とか暮らしていけます。欧米の様に極端に貧しくて犯罪を犯さなければ暮らしていけないということは日本ではありません。少し残念なのは寄付文化やボランテイアの文化が根づいていなくて、そこは寄付税制も含めて欧米に学ぶべき点はあります。森も木も見てみんなで助け合って来ている日本なので、中国や欧米のようなスピード感のある経済発展は望めませんが、私は日本はこれで良いと思っています。少子高齢化が世界一になっていますが、何とか日本人の遺伝子に備わった勤勉さと尊い知恵で乗り切りつつあります。年金財政も年金支給開始年齢を伸ばして定年延長も同時に行って、おそらく破綻を逃れると考えています。日本人の優れたバランス感覚はどんな時代になっても発揮されて、国難を逃れていくことは歴史が証明しています。岸田総理がコロナウイルスの終結に向けてどのような判断を下していくのか、みんなで見守ってみませんか。森も木もしっかり見ることのできる総理大臣であることを信じています。

 私自身はクリニックの繁栄を独り占めすることのないように、昨年から始めた県内の児童養護施設の生徒が、高校卒業時に運転免許証を取得する際の国と県の補助金の15万円では足りない17万前後のお金をすべての卒業生に寄付する事業を続けて行います。総額150万円を3月17日に丸山知事に贈呈します。親に縁の薄い子供たちが少しでも愛情を感じて、社会で活躍する一助となるべく毎年続けていくつもりです。これが私の森も見て木も見るバランス感覚の一つなのです。