グリーンブックを見ましたか
先日妻とグリーンブックという映画を見ました。今年度のアカデミー賞映画で素晴らしいものでした。ボヘミアンラプソディーも良かったですが、この映画のほうがより考えさせられるという点では上でした。
1962年の実際の話で、アメリカ北部でカーネギーホールでピアノを弾く有名な黒人ピアニストが、黒人差別の激しい南部にあえて行って演奏をする物語なのですが、その旅にイタリア系アメリカ人の粗野な人物を運転手兼マネージャーに雇っての珍道中なのです。展開はコミカルの部分とアメリカ南部で未だに強い黒人差別の部分が共存していて、つらい部分もありますが愉快な場面も多々あり、涙をそそるようなことはないのですが、近代化がかなり進んでいる中で南部では黒人がレストランに入ることが出来なかったり、ホテルに泊まれなかったりしていた事実は衝撃的で、今も抱えているアメリカの問題点を垣間見ることが出来ます。黒人でも泊まれる貧相なホテルが載っているのがグリーンブックで、それが映画のタイトルになっています。イタリア系のマネージャーは文字があまり書けないので、妻への手紙は黒人ピアニストが手伝って書いていました。色々な場面を経て最後にクリスマスにマネージャーが家に帰って家族や仲間たちとお祝いするのに、もう眠くて運転が出来なくなって、ピアニストが代わりに運転をしてニューヨークにたどり着いて家族や仲間に会うことが出来ました。広い邸宅に帰ったピアニストは寂しくなってマネージャーの家に行くのです。未だに黒人への偏見が残っていた家族でしたが、妻はピアニストが手紙を手伝っていたことを類推していて、ピアニストに素晴らしいお手紙をありがとうと言うのです。
アメリカは特別に差別の激しい国なのに世界から色々な人種が集まっていて、多種多様の人間のエネルギーが国力の源になっています。ですから、その人たちを排除することはできないけれども、白人を頂点とした社会が出来上がっていて、そこに難しい問題が多々生じてきます。現在の大統領の様な破天荒な人がリーダーとなるのもそのためです。差別の対象になる黒人、私たちの様な黄色人種やエスパニック系の人種の人間がアメリカで生きていくには、ひたすら努力をして成功して富や名声を得ていくしかないのです。そして、名声を得たとしても黒人であったとしたら、どうしようもない差別の中で本人の努力ではどうにもならないことがあるのも事実です。島国でほぼ単一の民族の日本では考えられない社会問題が現在でも存在するのです。
日本での現在の差別はいじめという形で存在しています。特に学校での陰に隠れたいじめは大きな問題となっていて子供の自殺が絶えません。周囲の子供たちは自分もいじめられるのが怖くていじめ対象者を助けることが出来ません。職場での上司からのいじめも問題となっていますが、パワハラなどのハラスメントの問題が取り上げられて来てからは少なくはなっていますが、今もって後を絶たないのが事実です。
人間は他人よりも強くありたいと思うのが本能ですが、それならば弱いものをいじめるのではなくて、自分が勉強をして努力をして自分のエネルギーを高めて、黙っていても一目置かれる人間になればよいのです。人は生まれ持って強い人間と弱い人間がいるのは当たり前で、漢方の思想でも陰陽虚実を使って人間や森羅万象のものを分類して治療を行います。私にとっていろいろなタイプの患者さんが来院されて、その多種多様の訴えに対応していくうちに力がついてくるのです。弱った人を強い人間が救ってあげることに価値があり、人から尊敬されるようになるのです。何のために勉強をするのか。何のために難しい大学を目指すのか。何のためにスポーツで勝ちに行くのか。そのことを考えずに結果のみを追求していく教育や現在の社会の風潮に問題があるのではないでしょうか。
最後に、それでも日本は良い国なのですよね。大きな人種差別や内紛もなく、みんなが概ね食べるものも十分にあって、医療も誰でも受けることが出来て、私たちは世界の誰よりも恵まれているということを認識しなければいけません。