院長の独り言
Monologue

2018.8.30

真の座標軸

アマチュアスポーツ界でのパワハラ問題が話題となっています。その両者の言い分を聞いていて何時も思うことは、自分が絶対に正しくて相手が100%間違っていると言い張る人が多いことです。100対0という構図はほとんどないのであって、必ず両方に何割かの悪いところがあるのが正解なのではないかと私は考えています。
 医療の世界でミスを指摘する患者さんと現在の医療レベルでは自分の行った医療が最善であったと主張する医師。契約に関するもめごとなど弁護士が関与するような事例など、世の中の事象は全てグレーゾーンでの判断になります。どちらが正しいかはその時点ではわからないことがほとんどで、未来においてもわからないかもしれません。
 つまり真実などというものは神のみぞしるで、現在の世論や法律に照らし合わせてその時点で判断するしかないと私は思っています。
 漢方の世界で陰陽虚実という物差しがあります。それは自分が体力があって暑がりなら陽実、体力がなくて寒がりなら陰虚というジャンルに入ってきます。大抵の人は陽実か陰虚に分けられます。人間の正しいことと誤っていることの尺度にして座標軸を作って見た時に、大体の人は自分が正しくて他人が間違っているとの尺度を作りたがると思います。特に社会的に成功者と呼ばれる人はそうだと思います。そこで、座標軸の正解を人間を超えた神様のような絶対的なものにして、そこからどの程度自分が間違っていて相手もどのくらい間違っているかを考えられる人こそ真の成功者になっていくのだと私は思います。
 例え何割であろうと相手がどうのこうのと訴えている時点でその選手などは二流であり、その時点で第一線からはみ出しているのではないでしょうか。日大のアメフト事件で危険タックルをして自らの過ちを認めて真実を語ってアメフトの世界から身を引いた宮本選手は、その意味で人間として超一流の部類に入るのではないでしょうか。彼は二度とアメフトをすることはないでしょうが、社会人として立派に成長していくのでしょう。
 この世の中に最初から完璧な人間などいるわけがなくて、誰しも善良な自分と悪の自分を持っているのだと私は思います。そこで、悪の部分があることを認めて、それを抑制しながら生きることの出来る人こそが最も良い人と呼ばれてもよいのではないかと考えます。