院長の独り言
Monologue

2018.1.31

素敵な神父さん

新年明けましておめでとうございます。
毎年私は2回だけカトリック教会にいきます。1回はクリスマスイブです。もう一回は1月1日です。
 私の先祖はずっと仏教徒でしたが、妻と結婚する時に妻はカトリックに入信して、子供が生まれて迷いなく幼児洗礼を受けさせることにしました。私はというとカトリックに入信しても良いのですが、毎週日曜日にミサを受けに教会に行かなくては行けないのが大変なので今だに入信を抵抗しています。死ぬまでには入信しても良いかなと思ってはいます。
 キリスト教には大きく分けてカトリックと プロテシタントの2つがあります。プロテシタントは主にアメリカ大陸に広く広まっていて、アメリカ大統領はプロテシタント以外からはなれないと言われています。その教会にいるのが牧師で、恋愛も結婚も許されています。一方でカトリックはヨーロッパを主に広まっていて、最高峰がローマ法王でバチカンというカトリック教会の国に住んでいます。法王を選ぶのに何日もかけて選挙を行います。カトリック教会には神父がいて恋愛も結婚も許されていなくて、教会で暮らしています。神父になるには神学校にいったりして12年かかると言われています。神父になっても恋愛に走れば神父を辞めなくてはいけません。禁欲生活の中で暮らしているからこそ神父は信者から尊敬されて慕われています。最後は東京の整った施設で人生を終える事ができます。
 我が家の二人の子供は小さな頃から毎週日曜日は教会に行って過ごしています。長男はまだキリスト教徒らしくありませんが、長女は敬虔なクリスチャンで東京に住んでいて上智大学内にあるイグナチオ教会に時々行っています。あの将棋のヒフミンが行っている教会です。
 30年くらい前に日本で初めての生体肝移植が島根医大の永末先生によって行われて、数カ月にわたって島根医大は世間の注目するところとなりました。その生体肝移植のドナーの肝臓を切除するスペシャリストとして九州大学から送り込まれたのが松尾先生で、彼はカトリック信者でそのお子様も教会に来ていました。当時の薄田神父さんが松尾先生の長男に神父への道を勧められて、その男の子が無事に神父になって長崎の教会に勤めています。この正月に出雲教会に初の神父としてのミサをしに出雲教会に来てくれました。
 私は彼を見て驚きました。34歳で元々イケメンではあるのですが、何とも言いようのない神々しさ(こうごうしさ)を生まれて初めて感じることが出来たのです。あの日野原重明先生は牧師さんの息子ですが、日野原先生にも感じ得なかった見事なまでの、純粋に世の中を救うために自分は生きている感じを彼は出しているのです。ミサの説教はまだたどたどしいものではありましたが、まさに神様の使者としてこの世に生きているんだなと思って涙が溢れんばかりに出てきました。
 人間はどんなに取り繕っても。どんなに上手な言葉を発しても普段の行いが悪ければ必ず顔や目に現れて来ます。
 逆に、松尾神父さんの様にただ目の前にいるだけで人々に感動を与える人がいるんだなと初めて実感しました。
 人の顔はその人の履歴書で全ての人生が書いてあるのです。私は毎月300人の新しい患者さんに合うのですが、過去に悪さをしていて現在は真面目に働いている人も大体分かるようになってきました。過去は消すことは出来ませんが、現在から未来にかけては自分で変える事ができます。何をするにもどんな人生を歩んで行くにも、顔はとても大切な履歴書なのですから、真剣に生きて行くしかその顔を素敵にする方法はありません。いくら形成手術をしても目の奥の履歴書も変えることは出来ません。
 これからの人生、今までの悪い行いや罪を償うために少しでも多くの善行を積んでいきたいと思っています。。
 今年の正月はこれから生きていく上でとても大切なものを教わったとても良い正月でした。
 今年もよろしくお願いします。