院長の独り言
Monologue

2017.7.31

日野原重明先生から学んだこと

先日日野原重明先生が105歳でご逝去なさいました。謹んでお悔やみ申しあげます。
  実は25年前に私が病院長をしていた厚生連日原共存病院に日野原先生をお招きして、町をあげてシンポジウムを行ったことがありました。当時からかなり有名になっておられて津和野町の小さな町に来られるような先生ではないのですが、先生は山口県の萩の出身なのですが先生の祖父が日原から萩に移住されたとのことで、一度ルーツである日原に行って見たいとの情報を仕入れました。日原の文字の真ん中に野をつけて日野原になったとのことでした。早速聖路加大学に先生を訪ねて講演を快諾して頂きました。
  それを聞きつけた島根医大の京大(日野原先生の出身大学)出身の副学長やら教授が4人参加したいとの申し出があり、その先生たちの講師料や旅費も払わなくては行けないので大出費となりましたが、私の後の医師としての人生に大きな影響を与えてくれました。
  シンポジウムでは命の大切さや全人的医療についてそれぞれの教授が発表されて、日野原先生が最後にまとめの講演をされました。日野原先生の講演の言葉一つ一つに重みがあり、先生が実践をされて来たことだけを語られているので言葉に迫力があり、真実のみを語られていて将来の医学や80歳の自分の残りの人生を生涯医師として働く事を話されていました。
  80歳の老医師がまるで中年の油の乗り切った医師のごとく将来について語られるわけですから凄いの一言です。
  自分がホスピスを作りたいのにお金がない。それでお金持ちの患者さんに一生涯聖路加病院で何があっても面倒を見るという約束をして、山の中の土地を提供してもらってホスピスを建てて、ホスピスに入る人も聖路加が全面的にバックアップするということで入所を増やして行ったとのことでした。
  また、当時まだ終末医療への理解が乏しくて最後まで管を沢山つけて命を終えることが多かったのですが、先生は先進的にそのことを批判して、いよいよ命の最後という時に今まで世話になった家族に、最後の言葉を話させてあげるのが医療の大きな役割であると力説しておられました。
  医療とはサイエンス(科学)に支えられたアート(術)であるとのオスラー博士の言葉を語っておられました。医師たるものは頭が良くて知識があるだけではなくて、患者さんの心の部分を支えられるだけの包容力が必要であるというのが先生の持論でもあります。また、病院でコンサートを開いたり、病んだ心をほぐしてあげる様な手当も必要であると語っておられました。
  など多くの事を私達に短時間で教えてくださったのですが、私が最も勉強になったのは、先生をマンツーマンで接待した二日間の先生とのふれあいでした。
  まず驚いたのが、先生は常に自然体であるということです。威張るでもなくこびるでもなく、あるがままの日野原重明であり、全ての行動が嘘や隠し立てがないということなのです。島根大学の副学長に接する態度と先生を訪ねてきた島根県の日野原の姓を受けている日野原一族に対する態度が全く一緒であるのです。お金のある人地位のある人とそうでない人との差別が全く無いのです。
  このことが日野原重明であることの証明であると感じました。先生が言っておられる全人的医療の話には全く嘘がないということの証明であるのです。
  私は先生の講演の素晴らしさよりも、さりげない普通の人に接する態度に大変感銘を受けて、33歳である自分が今後どの様な医師としての人生を歩んだら良いのか見本を示してもらいました。
  人は偉くなれば鼻も高くなり、傲慢になってくるものです。最初は謙虚であった自分がどんどん変わってくるものです。それがほぼ全ての人の経過ではないかと思います。自分に利益をもたらす人には丁寧になり、そうでない人には横柄になってきます。日野原重明先生は恐らく自分を戒める方法を身に着けて習慣づけていたのでしょう。そして自分の心を自然に隠さずに表現して生きて来られたのでしょう。私自身なかなか日野原先生のようには行きませんが、少しでもそのことを気に留めるようにしたいと考えています。