柳生新陰流の極意に学ぶ
柳生新陰流は徳川家一門の剣の流派です。柳生石舟斎から宗矩へと伝わり、宗矩は徳川2代将軍秀忠、三代将軍家光の剣術の指南役になって、一国の大名になっています。関ヶ原の戦い、大阪冬の陣、夏の陣を経て、世の中は人を殺し合わない平和な時代に突入しました。新陰流は切らず、取らず、勝たず、負けずの極意にあるように、相手を生かして己も生かすという精神です。刀を持っていない時に切りつけられて、両手で相手の振りかざす剣を挟んでとる「無刀取り」はその代表的な技です。
自分は負けない程の腕を身に着けて、試合内容は支配しながら相手のプライドを傷つけないように引き分けに持ち込むのです。もし、切りつけて相手を殺してしまえば、その子孫に恨まれることになって新たな勝負を挑まれて、永遠に戦いは続くことになります。一時的に勝ったと喜んでいても、後の自分の子孫に災いを残すことになります。
赤穂の殿様と吉良上野介が殿中で争いとなって、赤穂の殿が切りつけて自分だけ切腹を言いつけられて、吉良にはお咎めなしの処分に不服を抱いた赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは、公平な処分が手落ちだったからです。
日本人の魂には、この引き分け平等の精神が古来より宿っています。色々な多様性を認めて自分は自分で頑張り、人は人の精神があります。幕末に幕府軍が新政府軍に倒されて、旧幕府の幕臣の多くは新政府の役人になっているのもその精神です。戦国時代にも自らの殿様が敗れても、その家来は倒した方の大名の家来になっています。このような事は他国では考えられないようなことです。日本人の中には基本的には神道的な考え方があって、八百万の神に象徴されるように、多くの神様を便利に使い分けて、他人の宗教性に寛容であるとことが日本人特有の柔軟性を生み出しているのです。
現在、争いごとの絶えないイスラム教文化圏では唯一絶対神なので、キリスト教徒やユダヤ教徒にはそれだけで許せないのです。キリスト教文化圏でも唯一絶対神なので同様です。このことが世界平和を見出していて、トランプ大統領がアメリカ第一と声高に叫んだり、イギリスがEUから離脱してしまうことになってしまうのです。
私は日本人に生まれたことを大変幸運であったと思っています。日本人は韓国から慰安婦問題で理不尽なことをされても、相手の土俵に登って同様のことをしてはいけません。柳生新陰流の極意の様に勝たず負けずの精神で、韓国と距離をおいて柔軟に対応するのが日本流で大変有効な手立てと思います。
自分の人生においても、ライバルや周囲の人に勝ちたいと努力していっても、いざ勝ってしまうと今度は目標を失ってしまいます。勝ち負けにこだわることなく、世の中のために自分が何を出来るのかを考えて、極めてシンプルに生きてみることをお勧めします。その、考え方が出来るようになってから、人から見ると死ぬほど激務と思われる私の外来を簡単にこなせるようになってきました。無理はしない。自分が出来る目の前の仕事を着実に行うことができれば、本当の意味での人生における柳生新陰流をマスターしたことになります。