自分は運がよいと思える人
リオオリンピックが終わり、日本人選手は41個のメダルを獲得して大活躍でした。これで東京オリンピックに向けて弾みがついたと言われています。
しかしながら、金メダルを獲得した選手は今がピークであり、次回は大きな活躍は望めません。それだけオリンピックでの連覇は難しく、長年にわたって世界一の練習をしなければいけないからです。
私が今回のオリンピックで最も印象に残ったのは、この体操個人総合で内村航平選手が僅差でオレグ選手に勝って金メダルをとった後の言葉です。「私は非常に運が良かった。次の試合ではもうオレグに勝つイメージも自信もない」と言った一言です。
団体競技での金メダルも感動的でしたが、この言葉の中に内村航平の世界一の練習をしてきた証と彼の強さが現れていると考えます。
小学校を中退して家計を助けるために丁稚奉公に出て、商売のイロハを勉強して1代でパナソニックを作った松下幸之助さんが「私はどんなに辛いどん底でも、運が良かったと考えるようにして成功した。人は自分が運がよいと考える事の出来れば伸びると考えている。だから、自分で新入社員の応募面接を行っていた時代は、必ずあなたは運が良かったですか悪かったですかと聞くようににして、良かったですと答えた人を採用するようにしたら、必ず優秀な社員になってくれました」と言っておられたようです。
分析すると、自分は一生懸命にやっているが運が悪くてこのような状態になっていると考える人は、これ以上の精進も努力もしないで、ただ運がよいと思う人をやっかむだけでしょう。しかし、成績が悪くても良くても神様が試練を与えてくれて運が良かったのだと考えることの出来る人は、もっと工夫を重ねてさらに精進をして自分の目標に向かいます。達成するかしないかは別にして、世界一になりたければ世界一の練習をして、それでもなれない時は研究して何とか勝てる様に踏ん張ります。
人には持って生まれて才能もあるのでみんなが世界一日本一になれる訳ではありませんが、少なくとも自分自身の小さな目標に達するためにみんなが頑張っています。その時に俺はダメなんだ運も悪いし、勘も悪いと考えているような人には誰もついていきませんし、それこそ本当に運も逃げて行きます。チャンスは平等に訪れます。ただ、成功する人としない人の違いはチャンスに気がつくかつかないかによるのではないかと私は考えます。
約38年前に父が他界し、その10年後に母の弟が父が築いた建設会社を倒産させて、彼は家族を連れて大阪に逃げて行きました。その後残された母と私は大変な思いで残務整理をしました。でも、その時考えたのはお金も財産も全てなくなり、借金が残ったけれども、命と医師免許は残ったのでまだ運がある。やり直せると私は考えました。今ではお陰さまで多くの患者さんに来院して頂いてほぼ借金が2年後になくなる予定ですが、今の良い状態の方があの頃よりは不気味です。何か落とし穴があるのではないかと常に考えています。雇われ院長をしている時も色々な困難な出来事はありましたが、全て全力で正攻法で処理をして現在の自分の血となり肉となっています。
人は長い人生の中でずっと良いことなどはありえません。トラブルがあるから人は努力するし工夫もします。トラブルになった時には出来れば自分の力で処理にあたってみては如何でしょうか。人に頼る癖のある人は何時まで経っても人に頼るし、上手く行かない時は自分は運が悪いと考えがちです。どんなに辛いピンチでも殺されることはないし、生きて頑張っていれば必ず小さなチャンスは訪れてきます。そのチャンスをつかみ、さらに次のチャンスを掴んで行けば、徐々にチャンスは大きくなって行きます。松下幸之助はこんな生き方をして、究極の奥深いこのシンプルな言葉に凝縮しているのではないかと私は考えました。