院長の独り言
Monologue

2016.4.30

トラブル時の対応

先日より東京都知事の舛添要一さんのことが盛んに話題になっています。
まずはアメリカに出張に行った際に、税金でファーストクラスで渡航して一流ホテルのスイートルームに宿泊したことでマスコミに叩かれています。
 次に神奈川の別荘に毎週の様に公用車で行き、帰りは自家用車で運転手に送ってもらっていたとのことであります。
  ことの善悪については色々と議論のあるところですが、批判する人の価値観によって意見が変わってくるところであります。私自身はたとえばTPP交渉のような大変厳しい国際的交渉に臨む様な大臣や官僚は、最低でもビジネスクラスで渡航して、国益のためにしっかり交渉して欲しいと思っていますし、ホテルも一流ホテルに宿泊して、ゆったりとした気持ちで働いてもらいたいと考えていて、比較的寛容なタイプだとは思いますが、舛添さんはすこし行き過ぎたのかなかと思っています。
 ただ、その是非を議論してもしょうがなく、問題は舛添さんの弁解がとても見苦しかったという点ではないでしょうか。素直に「気が付きませんでした。行き過ぎでしたので、以後は公私のけじめをしっかりとつけて頑張って行きますので、今後ともよろしくお願いします。」とコメントをすればこんなに叩かれずに、醜態もさらすことはなかったでしょう。
 トラブルのない人はいませんし、ミスを犯さない人も世の中にいないはずです。
舛添さんの様な東大出身のエリートで挫折を知らない人は、自分が失敗することを信じたくないために、トラブルの際に見苦しい言い訳をしてしまい少し頭を下げれば簡単にすんでいることが長引いてしまいます。
 医療界でも、最近ではかなり民主化されて早期にミスを認めて謝るようになっていますが、今だにミスを認めない医師は沢山います。人間が医療を行っている限り、大なり小なりどんなに優秀な医師でもミスを犯します。処方箋に患者さんが望んだ塗り薬やシップを忘れてしまうなどの小さなミスは毎日の様に発生しています。なるべく大きな事故にならないように細心の注意をはらっていても、ごく初期での病気の診断は困難を極めます。病気が進行して大きな病院を受診して、もう少し早く来てくれたらと言われても、その過去に逆戻りしても発見できないと考えることはよくあります。「後医は名医」という言葉があって、病気が進行した後から診た医者が当然、情報も多く診断も確かになってきます。
 ですが、そんな言い訳も患者さんには通用しなく、ごく早期で診断しなかったことを責めてきます。その時に言いたいことはあっても、早期に診断できなかったことは確かなので、その時は早く見つけてあげられなくて申し訳なかったことを、私は患者さんに伝えて、以後の自分の医療の戒めとしています。
 100%の診断に近づきたいところではありますが、永遠にそれは無理でしょう。人間はロボットではなく、同じ様な場面でも状況も変わってくるし、判断能力も変わったりします。そこに患者さんへの情も入る隙間もあって、本当は正しくないと思っていても、患者さんにとって良いことと判断した時には、逆の判断を下す時もあります。
 ですから、医者なんてそんなもんだと思って付き合って頂ければ大変気が楽になります。私は、患者さんに年に1回のドックを勧めます。高血圧や糖尿病で診ているだけで、何の症状もないのに癌の診断を医師がつけてくれると思ったら大間違いです。医師でさえ癌で死亡するすることが多くあることから考えればお分かりになると思います。かかりつけ医も何か症状がなければ検査をすることは保険医療の考え方から許されていません。
 これからの医療も政治も、お互いの信頼関係なしでは成り立ちません。現在の現実をしっかりと説明して、自分で足りないところは他の専門家にお願いして、もし過ちがあった時には素直に謝り、その謝りに対しては患者さんも住民も寛容であって欲しいです。そうしないと自分が損をする結果となってしまうからです。防御に入った時の医療機関は極めて冷静なロボットの様な組織となってしまうからです。
 政治経済の世界も医療の世界も同じで、2つの対極がお互いに尊敬し合い、温かい関係で有りたいものです。その関係においてのみ、素晴らしい仕事が出来ると考えています。
 もう一度自分を行いを戒めてみませんか。その謙虚さを身につけて初めて、人から尊敬されて人々を幸せにする能力が備わって来るのではないでしょうか。