院長の独り言
Monologue

2015.9.30

答えは自分の中にある

私は12月で56歳になります。今まで生きて来た荒波の人生を振り返り、また多くの患者さんの相談にのったりして得た一つの結論があります。
例えば、人が人事であまり満足しないポストについたとします。そこでふてくされて不真面目に過ごせばそのポストの輝きは全く感じられませんが、不人気なポストでも色々と工夫して面白いことをやって、周囲の人が興味を持つ様にすることもできます。つまりその人事を生かすも殺すも本人次第であるということです。
 私が30歳の頃大学院の研究が陽の目を見てかなり面白い研究が出来るようになっていましたが、大学院修了後に恒例のお礼奉公で現在の津和野町の110床の病院に派遣されて、1年後に院長になるはめになりました。それは軌道に乗り始めていた研究を諦めることを意味するのですが、私は別のチャンスと考えてその人事を受けて、地域医療のモデルを作ることを考えました。
 病院を拠点に特別養護老人ホームを町長と相談して作り、老健施設も建設しました。さらに在宅での医療も充実させなくてはと訪問看護と在宅支援センターの建設も計画しました。さらにバスを競輪協会の支援を受けて購入して心電図やエコーなどを完備してその中で在宅での医療が出来る様に考えました。後半は道半ばで別の療養型病院の院長への転職が決まったので、後輩の院長に託しましたが、20年前に私が試みたことをやっと全国で初めています。 
 田舎の病院で医師は10名程度でしたが、内科医6人外科医1人整形外科1人放射線科1人だったと思いますが、当時の仲間の医師とは一緒に小倉に飲みに行ったり、一生懸命に共に地域医療を行って、彼らは現在開業したり、大きな病院の部長になっていたり、大学で偉くなっていたりして、みんな出世しています。
 しかし、残念ながら私がいなくなって10年後位に一度倒産しましたが、再度出なおして町の身の丈にあったサイズの医療に生まれ変わり、後輩達がさらに進化させた地域医療のモデルを作ってくれています。
 もし、私が31歳で院長になった時に、大学に目を向けて地域医療に高い志を持たなかったら、現在の津和野町の医療はないように思います。
 また、大学で新しく教授に赴任した先生がいるとします。その教室が将来繁栄してみんなが幸せになるかならないかは、その教授の志しだいです。
 自分のことばかりを考えずに、教室員に力をつけさせて魅力のある教室を作る考えの教授は、例え小さな教室であっても後世まで名を残します。
 事業を興して成功するもしないも、答えは自分自身の中にあります。自分が絶対にどんなことがあっても成功させようという信念があれば、紆余曲折はあっても必ず成功します。
 そういう種類の人間は別の世界に行っても必ず成功します。日本のサッカーをプロ化した川口さんは、トラブルで二分していたプロバスケットをいとも簡単に一本化させて、オリンピックへの道をつけました。
 京セラを作った稲盛和夫さんは、その後第二電電を作り、KDDへと発展させています。JALが倒産して何もわからないところへ乗り込んで、この会社を再建するんだという志を持ち続けて、ついに誰も出来なかったJALを立て直すことに成功しました。
 私のところに来院される患者さんも、ここまで治そうと思って信念を持っていると必ず良い方向に向かいます。その良い方向に向かわせるのが私の腕次第ということになりますが、一般的に遠方から来院された患者さんは志が高くて、早く治っていく傾向にあります。
 日頃、小さなポストについていても腐らずに一生懸命に努力する人間にのみに、神様はチャンスを与えてくれます。自分は運が悪いと嘆いているうちは、その人にチャンスが訪れることはありません。一度谷底に落ちた人間がどの様に這い上がってくるのか、試されている様な気がします。成功者は決して東京大学を出たエリートで、王道を歩んだ人間ではないということです。どんなに学歴が低くても志さえあれば誰でも成功者になれるということを、この56年生きて来て学ぶことが出来ました。
 みなさんも今一度自分の人生を振り返って見ませんか。そして自分が本当に一生懸命に生きてきたかどうかを検討してみてください。どんなに歳を重ねていても、一生懸命に何かをする志を立てた瞬間から人生は少しづつ人生は変化してくるはずです。それが5年10年と経過して行くと、大輪の花を咲かせることが出来ます。その成功の秘訣の答えは他の成功者の中にはなくて、あなた自身の中にありますよ。