院長の独り言
Monologue

2015.3.26

奇跡の出会い

人はこの世に生まれて無数に近いほどの出会いに遭遇していて、良い出会いも沢山あるはずですが人はそのことに気がついてないことが多くあります。つまり、良い出会いを大切にしていません。出会ったその瞬間はいいなと感じるのですが、多くは日常の忙しさの中に埋もれてしまうのです。あるいは自分自身への意識が強くて出会いへの感謝の気持ちに気が付かないのです。
 私自身の例で説明しますと、まず母親との出会いです。以前に父が19歳の時に他界して大変な時期を母と共に切り抜けた話を書いたと思いますが、母がいなければ今日の私はありません。当たり前の話ですが、母親の卵に父親の精子が受精して私が生まれています。だから協力してくれるし愛情も注いでくれる訳ですが、人間以外の哺乳類では母は子供が一人前になったら突き放しますし、そんなに多くの愛情をくれません。自分自身が一番で、子供のことは二の次なのです。これが本来動物が持っている本能で、大脳皮質の発達により人間は実は例外的でいくつになっても子供に愛情を注げるのです。子供を殺したり痛ましい事件があるのは、人間の新しい脳の発達が悪く動物の本能がむき出しになった人の仕業なのです。私の母は小さい頃から私を突き放して何でも自分で考えて行動させるように育ててくれました。そのことが困難に際した時に慌てずに対応できる習慣をつけてくれました。ハーバート大学の教育方針は教えるのではなくて自分で考えさせることを大切にします。授業の前に自分で調べて来て勉強して、そして今後どうするかを授業中にみんなで話し合うのです。教科書どうりの局面はほとんど実践ではでてきません。実践的な局面での考え方こそ長い人生を生き抜く大きな力となるのです。
 これからは逆に衰えていく母を私が面倒を見る番ですが、母は息子に頼ることを好みません。要介護になれば施設での介護を望んでいます。そして母が私にしてくれたように、遠目で見て助けるという方式での援助を望んでいるのです。私はそれで良いと思っています。人に迷惑をかけることを極端に嫌う母の生き様を全うさせてやいたいと思っています。この世に私を送り出してくれた母に感謝の気持ちでいっぱいです。また、父と母の奇跡の出会いにも感謝しなければいけません。
 そして、あまり数は多くありませんが、私の三人の恩師との出会いがなければ、今日の私はありません。中学時代の剣道の先生であった小村美正先生は、4年前にC型肝炎から肝硬変、肝癌にと進行して亡くなられましたが、この先生との奇跡の出会いがなければ今現在踏み応えている医師としての人格形成は出来なかったでしょうし、驚くべくことは先生と出会って10年後に出会った家内の母と先生が従兄弟という奇跡です。先生が亡くなられる1ヶ月前までは肝癌を発症してから8年間私自身が診察して少しでも恩返しが出来たことを、少しばかり良かったなと思えています。そして、最後の日に先生が新卒で中学に来られてからさんざん迷惑をかけ続けた私の同級生を先生に合わすことが出来て、先生が涙を流して喜ばれた話を奥さんから聞いて、少しでもほっとして頂くことが出来て本当に良かったと思っています。
 研修医として入局する時に、ある大物人物の紹介で小林祥泰先生の門をたたきました。同僚はなく一人だけの入局でした、大変に人使いの荒い医局でほぼ何も教わることなく、1ヶ月目から先輩たちと同じような医療を実践しました。国家試験の免許証が来てないのに大学の医局の当直を一人でして、日曜日研修医の私一人なり、脳出血やてんかん重積発作が来て、医局に誰もいないので自分一人で抗痙攣剤を注射したり点滴をしたのを覚えています。その後も何事もなく実践的に鍛えられて、自分で調べて難局を打開する癖がついたのはこのグループに入ったお陰と思っています。学会発表や論文の著作もかなり早くから小林先生は厳しく行わせる主義というか人がいないから必然的に行わざるを得ないということになるのですが、いずれにしても小林先生の厳しい指導がなければ、西洋医学における厳しい考え方はついてなくて、臨床が今よりも甘くなっていたかもしれません。小林先生との奇跡の出会いに感謝してます。
 小林先生の人事で31歳で全国の厚生連発祥の地である島根の西の果ての石西厚生連日原共存病院の病院長になり、研究から病院経営へと自分の専門を変遷する過程で出会った漢方の師匠の寺澤捷年先生との出会いは衝撃的でした。ツムラが主催した御殿場での2泊3日のセミナーで先生の講義を聞いてからは、その内容とプレゼン能力に惚れ込んで以来は先生の追っかけを全国で展開しました。寺澤先生のように漢方について流暢に語り、患者を治して見たいという一点で、私の全てのエネルギーを注ぎました
 現在でこそ漢方ブームが到来していますが、その頃はまだまだで異端児扱いをされていました。その後、2009年に開業してからは、専門の神経内科の病気は片頭痛位で、その片頭痛さえも漢方薬治す様になり、寺澤先生との大奇跡の出会いがなければ今日の私はありません。その後は西洋医学の師匠の小林先生を寺澤先生に引きあわせて、先生も漢方にはまって大学病院長時代に東洋医学会専門医も取得されたことはもっと驚いたことでした。
 皆さんにも私の様な奇跡の出会いはありませんか。きっとあるはずです。
仕事上のことだけでなく、一生の内でもっとも良い影響を受けた異性との出会い。それが例え結婚という形式にはまることがなくても、その人に影響されて自分が良く変われたことはあるはずです。結婚はあくまでも男女が一緒に暮らしてお互いの遺伝子を持った子孫を残して行きましょうという契約なので、奇跡の出会いに一致することもあればないこともあるはずです。
 人間は生まれ持った遺伝子は強固なものなので、成人してからは性格がさほど変わるものではありません。しかし、その人ならどんなアドバイスをしてくれるだろうかと考えるだけで勇気が湧いてくること。ストレスがかかって交感神経が興奮した時に、その人の顔を思い描くだけで笑顔になれること。
 過去にも未来にもそんな人は、同性異性を問わずそんなに現れるものではありません。過去を振り返ってみてそんな人との出会いを思い起こしてみましょう。実際には思った程の人でなく偶像であったかもしれない人でも、その時に素晴らしいと感じたあなたの感性を大切にしてみませんか。何十年立って実際には大人のグレーゾーンの選択をするようになってしまった今、その時代の純粋なあなたの感性に響いた奇跡の出会いは、かけがえのない宝物なのですよ。そんな宝物を大切にすることが人生の成功に導いてくれるのではないかと思います。