もう少しで梅田でホームレスになるところでした
メリークリスマス。
12月の6日、7日の土日に札幌で漢方の教育講演に呼んでもらいました。昨年からの続きで評判も良くなってきて今回で3回目でした。
6日出雲空港を4時の飛行機で出発して、羽田からはファーストクラスの席を取ってもらい、9時に札幌に到着して、すすきののいつものすし屋で美味しいものを食べてホテルに帰って無事に過ごした1日目でした。札幌の夜は零下でしたが空気が乾燥していて全く寒く感じなく、地元の人はすすきのを薄いコートなどの軽装で歩いていました。自分のコートの中で最も厚手のものを着て行ったのでエスキモーみたいで恥ずかしいくらいでした。風の強い出雲の方がよっぽど寒く感じられました。
7日11時からの講演だったので8時ころ目を覚ますと、外は一面雪景色できれいな風景でした。しかし、帰りの飛行機が心配となりJALのホームページを見てみると朝から飛行機が遅れるとのことでした。私は4時札幌発をとっていて5時半に羽田に到着して、6時半の出雲便に乗る予定でした。そこで機転を効かして飛行機が遅れたり欠航になることを想定して、3時の便も予約しておきました。本当は1時と2時の飛行機も予約したかったのですが、一つしか予約が出来ないようになっていて不安を残してホテル内の講演会場に向かいました。講演は好評で大人しい北海道の人にしては熱心な質問も出て、また来年くることを約束して終わりました。
すぐに札幌からJRで新千歳空港まで行き、まず驚いたのが午前は空港が使えずに飛行機の半分の偶数時間の出発便が全て欠航になっていて、2時の時点で1時発の便も出発してなくて、空港内は受付に並ぶ列で大混乱でした。私は4時の便のファーストクラスでしたので、そこはあまり人が並んでなくて、すぐに受け付けにたどり着くことが出来ました。4時の本来の飛行機は欠航でも3時の便が4時か4時半に出れば大丈夫で、自分の手回しの良さに少し感心していました。ところが、受付のお嬢さんが3時の飛行機が出雲便に間に合うのは絶望的で、1時の便が4時半ころ出発することが予想され、ぎりぎり出雲便に間に合うかどうかと言うのです。
それでここに望みを託してグローバルデスク(年間50回以上JALに乗った人の特典で受付やキャンセル待ちが優先される)のサファイヤ会員の特典で150番目のキャンセル待ちを取って、3時ころから始まるキャンセル待ちに備えたのですが、あえなく135番で終わってしまい、4時の時点で出雲便は諦めることになりました。もし、年間80回のエメラルド会員や100回のダイヤモンド会員なら乗れたのにと、今度はいつかとるぞと決意しました。
出雲便に乗れないなら次善の策を探さないといけません。次の日の外来が待っていて、最近では米子や境港から新患が朝早くから来院されるからです。私が次に考えたのが、羽田発伊丹行きが7時20分に出発するのでそれに間に合わせることでした。グローバルデスクに並んで、その時点で5時になっていました。そこでなるべく伊丹便に乗れるようにお願いしましたが、伊丹は町中なので夜遅く飛行機が飛ぶことは規制されていて、遅れたらおいて行くと羽田に問い合わせてもらっての返事でした。いたし方ないので伊丹便のチケットもとりました。
ここでもう一つの出雲に帰る方法を私は見つけていました。ANAで6時半発の広島便があって、空席があって予約を取っていました。しかし5時半の時点でJALを捨ててANAに行ってあの混雑の中で、並んでチケットを購入している内に飛行機が出発したり、または広島便が欠航した時には東京にもたどり着けなくなってしまします。その日の内に東京まで帰れば次の日の朝1便の出雲便を予約していたので、それで帰れば最悪10時から外来が出来ます。1時間半遅れにはなりますが、やらないよりはましです。
結局私はJALで5時半に飛行機に乗り込みました。これで伊丹に8時半につけるぞとの思いでいましたが、飛行機の中で1時間も待たされて千歳空港を出発したのが6時半で羽田に8時に到着して、伊丹便は私をおいて出発していました。おまけに広島便、岡山便も7時半に「出ていて、最終的に東京に泊まるのかか9時発10時20分着で関西空港まで帰るかの選択でした。私は後者を選びました。
羽田で夕食を食べてないことに気がついてショップで弁当を買おうとしたところ、開いてているのに8時を過ぎているので売れないというのです。レジを閉めているので面倒なのはわかりますが、都会の薄情なシステムに愕然としました。関空に到着してコーヒーショップが開いていたので入ったところ、そこでももう閉めたからダメだというのです。私は飢えをしのぐために販売機でジュースやポカリを買ってのみました。これは結構カロリーがあって腹を満たすことができました。逆にいうとジュースのカロリーの高さに驚きました。
いくらお金はかかっても10時半に関空からタクシーで出雲まで帰ることにしました。関空のタクシーは大阪と違って5000円以上は半額の割引がないため梅田の駅まで行き、タクシーを乗り換えることにしました。まともに関空からタクシーで出雲に帰ると14万位になり、それでは札幌での講演料を超えてしまうので、割が合わないと考えたのです。
梅田の駅ではほぼ全て5000円以上半額のタクシーが並んでいました。最初のタクシーに出雲まで行ってくれるかと聞いたところ断られました。次々と交渉して全てのタクシーに断られて、ついに私も梅田でホームレスになるかと途方にくれました。ところが捨てる神あれば拾う神ありで、中ほどで断った運転手さんが近寄ってきて、行ってやろうかというのです。帰りの高速代を心配していたので勿論払うことを約束してタクシーに乗り、まずはガスを満タンにして出雲まで350Kを帰ることになりました。
そのタクシーが何か車の調子が悪く、高速でふーらふーらとするのと眠気予防なのか暖房もつけれもらえず、車の中で全く眠ることができませんでした。幸い北海道にエスキモーの様な格好をして行ったので、フード付きのダウンコートを下半身に巻きつけて寒さに対抗して、ポカリを飲んで飢えをしのいで朝の4時半に自宅に到着しました。タクシーメーターは実際11万のところ半額なので6万5千円の2つが表示されていました。料金の上に帰りの高速代5千円とチップ1万円を運転手さんに渡したところ大変喜んでもらえました。雪があるかもしれないのにノーマルタイヤで頑張ってくれた運転手さんに感謝感謝でした。梅田までのタクシー料金と合わせると合計9万円の出費でしたが、かくして私自身の患者さんへの信用を確保することが出来ました。
すぐに寝て、2時間の睡眠をとって6時半に起きて家内が沸かしてくれた風呂に入ってクリニックに向かいました。職員が「心配してましたけど、先生なら何としてでも朝帰ってこられると思っていました」とみんなが笑って出迎えてくれました。私の性格はみんなが理解してくれていて、次の日の1便で帰ってくるような安易な道は選ばないことをみんなが知っているので、全てのことを話しても驚いてくれませんでした。
思ったとおり、朝早くから遠くからの新しい患者さんがきていました。ほとんどの新患にあなたのために私は関空から朝タクシーで帰って来ましたと告げて面白おかしく終わった一日でした。
さて、ここで私のとった危機に際しての行動を冷静に分析してみたいと思います。後から考えて千歳空港に着いてあの混乱の中でベストの選択は何だったのでしょうか。結果としては広島便は千歳を7時半に出発して9時半に到着していました。そこからタクシーに乗って2時間半で自宅に到着して料金4万程度ですんだでしょう。そうなのですが、その選択は北海道に取り残されるというリスクを伴っていました。今後も遭遇するかもしれないことなのですが、失敗するかもしれないがベストの選択をねらって賭けて進むのか、失敗はなるべく少なくしてベストではないがベターな選択、つまり最悪にならない選択をするのかの決断時にその人はどうするのかが人生を左右します。私は何度やってもベターな選択をまずは確保しておいて、ベストな選択も模索するという行動を取るでしょう。あの時で言えば、5時にJALの便を確保してすぐに飛行機に乗らずにANAの広島便の様子を見に行く手もあったかもしれませんが、時間がありませんでした。
羽田に8時に着いた時点で次の日の1便も確保していることだし、東京に泊まって朝10時から外来をするというさらに後退したベターな選択もありました。その方が金銭的にはかなり安くあがり飢えになることもなく体も楽であったでしょう。どの選択をとってもそれなりに職員も患者さんも納得してくれたことでしょう。皆さんならどの選択をしますか。又はどの選択が正しいと思いますか。
実は正解はないと思います。答えのない問題なのです。この答えのない問題が世の中には多々あります。今の日本の経済は少子高齢化で成長が見込めそうにありません。団塊の世代が後期高齢者になって年金や医療費が爆発する2020年から2025年にかけて日本の財政がこのままでは崩壊してしまいます。ここで2つの選択があります。このままの年金と医療福祉を維持するために消費税を上げて15~20%にしてヨーロッパ型にするのか、消費税はこのままにして年金、医療、福祉のレベルを下げて自己負担を増やすのかという議論がなされていますが、結論は出ていませんし正解もわからないでしょう。どうしたら多くの人びとが路頭に迷わずに幸せになれるのでしょうか。正解の出ない問題をベターな方向を模索しなければいけません。
世の中にはどんなに考えても答えのない決断に迫られることが多々あります。その時に本当の人間力や包容力が試されると私は考えます。なるべく多くの人がベターな選択が出来るようにすることがリーダーの努めであり、そのことをとことん人々に説明する必要があります。それは、高校や大学で教えられることではないので、最高学府の東京大学を出て国を動かしている役人には、より良いベターな選択を出来る人はいないので国が混乱しているのだと思います。
大切なことは世間体を気にした無責任な選択ではなくて、折り合いをつけたベターである選択なのです。自分がやりたい政策ではなくて多くの人が路頭に迷わない政策なのです。
もう一つ今回の出来事で気がついたことがあります。それは羽田や関空でショップが開いているのに食べ物を売ってくれなかったことで気がついたことですが、都会の人が働かなくなったということです。いつからあんなに怠けた人間になってしまったのでしょうか。あれが島根や鳥取の人間ならまずは食べ物を売ってくれたでしょう。タクシーも喜んで走らせてくれたでしょう。田舎は貧しく景気が上向かないために人々は一生懸命に働きます。
都会の怠けたシステムで働いている人に政府が悪いから景気が悪いなどと批判する資格はないと思いました。東京でのみ日本の将来を議論しているから良い結論も出なければろくなリーダーもいないのです。ずっと民主党から出た総理大臣が東京から出ていてろくな働きをしなかったのは、田舎の人の勤勉さや素朴さに触れていないからではないでしょうか。いくら人口が減っても地方の自治体を潰しては日本が潰れると私は確信しました。地方からこそ素晴らしい世界に誇れるアイデアが出てくることを予言しておきます。都会は住むところではなくて、たまに遊びに行くところだとはっきりわかりました。
以上が今年最後に、私が最大の危機に際して考えたことです。この私の考えにも合っているのかどうかの正解はなく、ただ私がこんな考えで行動しているというだけの話です。それぞれの人が別の人格を持っていて、別の理念を持って暮らしています。例え失敗してもぶれることのないしっかりした理念を持って生きて行くことが大切ではないかと考えます。その理念を築くために多くの失敗を重ねながら日々進歩して行くのです。
日々の多くの事象には答えがないのですから、思い切り生きてみましょう。