院長の独り言
Monologue

2013.7.29

面食いと性格

長男が22歳、長女が19歳になるので、それぞれがどんなパートナーを連れてくるのか楽しみにしています。よく、父親は娘の結婚を考えたくないという人もいますが、私は全くそのような感情は今のところなくて、新しく娘や息子が増えて楽しくなるという位の気分でいます。
 そんな関係で、自分自身がなぜ家内を選んだのか。家内もなぜ私を選んだのか考え、さらには周囲の人のカップルがなぜ結ばれたかを考察して、一つの結論を得たので報告しておきます。
 それは、本人の面食いの度合いと几帳面さは比例するという事実でした。置物が少しずれていたり、ゴミがほんの少しあるだけで気になる人は間違いなく面食いです。それは自分の男前度や美人度には関係ありません。とにかく、まずは顔だけは譲れないのです。逆に部屋が汚くてゴミだらけの生活でも平気な人は、自分が例え美人でも美男でも顔については全く問題にしません。相手の性格や生き方や経済力などを気にします。
 多くの人はその中間にいて、その几帳面さの度合いによって顔については自分なりの基準をもっています。少しだけ几帳面な人は少しだけ顔について吟味しますが、そこをクリアすれば後はその他の総合力や、努力で何とかなります。
 また、韓国の整形美人を見てお気づきかもしれませんが、整形した顔はある共通の顔に近づいて来て、みんな同じような顔になります。そればかり見ていると飽きてきます。美男美女は目の間隔も、目の上がり下がりも口の大きさ鼻の高さも同じような標準的な顔になってきて、個性がなくなってくるのです。
 その標準的な顔の人と暮らしたいと几帳面で面食いの人は考えるのです。自分の家のインテリアの様な感覚にどうしてもなってしまいます。顔だけが取り柄のだめ男で、周囲の人から反対されてもその男を選んでしまいます。そんな人が目の前に現れなければ結婚をせずに一生一人でいて、芸能人などにバーチャルな恋をして過ごすことになります。すごい素敵な人で仕事が出来て、みんなから憧れの的である人が独身でいるのはそのためです。これは理屈では割り切れない本能的なものなので、どうしようもありません。
 美女と野獣の組み合わせを見かけることが度々あります。それはその美女が全く几帳面でないから、男性の顔には全く興味がなく、その変わりに他人が気にしないような、その人なりの大切なツボがあるのです。
 こんな単純なことがどうして理解できなかったか悔やまれます。若いころにこれが理解できたら、もてていたかもしれません。
 また、美男美女は標準に近いので個性がないということで、個性的なインテリアや洋服を好む人は、標準からいくらか崩れた個性的な顔を好みます。日本の社会も変わってきて、私が小さい頃の女優は本当に綺麗な美人が多かったように思いますが、最近の好まれる顔は標準からは少しずれている個性的な女優が多いように思います。日本文化が進化して、それぞれの個性を重んじるような社会に戦後なって行ったために、美的感覚も個性的になって来たのです。中国や韓国の女優がかつての日本の様に同じような美女を揃えているのは、まだまだ文化が成熟してなくて、個性を重んじてない証拠です。
 人生も終盤を迎えてくると、昔の美男美女も普通の人と同様になってきて、むしろ同窓会などでかつてのマドンナが無残になっているとがっくり来て、そうでもなかった女性が相対的に綺麗になっていると逆に感心します。40歳を超えてくると自分の顔に責任を持てと言われますが、しっかりと一生懸命に生きている人は顔が良くなって来るし、逆もあるので顔が履歴のようになってきて、ほとんど話さなくても性格が分かるようになってきます。
 もって生まれた顔のつくりは先祖からもらったものでどうしようもないのですが、生き方は努力で変えることができます。これから、私も老年期に向かって年を重ねて行くのですが、10年先に紳士的になったねと他人から思われるような生き方をしなければいけないと考えています。
 ちなみに私の家内はほとんど几帳面さはありません。だから私を選んだのかもしれません。長男や長女も几帳面さはありません。私は独身時代は七割くらい几帳面でしたが、今は家族の影響で五割くらいに後退しています。さらに言えば昔は美人女優が好みでしたが、今はかなりハードルが下がっています。人の好みも長い年月をかければ変えることもできるように思います。長男や長女がどのようなパートナーを連れてくるのか本当に楽しみです。私は例えどんな人を連れてきても賛成してやろうと思っています。
 今まで書いたこのセオリーは女性に関して特にあたっていると思いますので、独身の若い人は参考にしてください。