指導者の暴力について思うこと
最近になってやっとスポーツ指導者の暴力がいけないことだとの世論になって来ましたが、私は小学校からずっと剣道をやってきて指導者の暴力的な指導に大いなる反感を持っていました。しかしながら、中学時代は指導者に恵まれて一昨年逝去された小村美正先生の現代的な指導を受けてその後の人生に大変参考になっています。
剣道では指導者がかかってくる生徒に拷問の様な教え方をする先生が沢山います。およそ教えるというよりは自分の気分により、憂さ晴らしにいじめるという様な感覚で足を掛けて倒して、上から竹刀で突いたり半殺しの目に会います。剣道人口が減ってきたのはそのためです。しかし、小村先生は中学時代の3年間一度もそのような暴力的な指導は行わずに、冬は筋肉トレーニングを行い、春から毎週の様に練習試合に連れて行き、時には高校生と試合を行わせてレベルの高い所での試合感覚を身につけさせてくださり、新しい技を研究してみんなに徹底して教えてくだいました。試合の反省ではとにかく頭を使えというのが口癖でした。努力して剣道が強くなっても、その強さには限界があります。それぞれ持って生まれた体力と運動神経で戦うわけですが、試合になれば必ずしも強いものが勝つとは限らず、弱いものでも頭を使えば勝てたり、あるいは団体戦では引き分けがベストであることもあります。そんな頭を使うスポーツとしての剣道を教えてくださいました。
小村先生が名将と呼ばれる所以がそこにあり、高校以降は暴力的な剣道の指導を行う指導者を受け付けなくなっていました。未だに剣道の世界では多くの学校で暴力的な指導が行われていて、あたかもそのことで強くなったような錯覚に陥っていますが、たまたま素質のある選手が集まっている学校だから勝っているだけだと思います。
プロ野球の桑田真澄が同じことを先日テレビで言っていましたが、40年前に私が小村先生から教えて頂いていた理論を彼は語っていました。
暴力的指導を広い意味で考えて見ましょう。教員と生徒、オーナーと働く人、先輩と後輩など明らかに上と思われる立場の人は下の立場の人に暴力的な言動を行なっても何の進歩もありません。下の立場の人は萎縮してしまい力を出せずにいるし、上の立場の人は同じ指導を繰り返すばかりで何の進歩もなく、自己満足な人生しか歩めません。むしろ、下の人は自分が受けた暴力的な行為を自分は下の人間にはしないようにしようと思う人もいて、自分自身を高めることもありますが、上の立場の人は悲惨です。何時まで経っても進歩のない人生を歩んで、心から下の人から尊敬されることはないからです。
かつて仲間であった人同士の喧嘩でも同じことが言えます。大なたを振って相手を攻撃して、相手の立場が弱くなって高笑いしている人も多くいますが、世間の世論は決して勝った方に味方することはなく、ただ両方が弱っていくのみの悲惨な結末を迎えることになります。世間は暴力的な大なたを行った人を決して支持することはありません。もし、そのような立場に立った時はその時は負けて後に勝つ方を選びたいと思います。長い人生の中でいろいろなトラブルに遭遇することがありますが、殴る方ではなく殴られる方を選んだ方が必ずよい結果を産むと私は考えます。
社会生活において様々な強い立場、弱い立場を持って誰しも生きている訳ですが、気高く生きて行きたいものです。