院長の独り言
Monologue

2011.10.31

愛犬が貧血で死にそうになった

我が家のチワワ兄妹の雄のコロンが予防注射の副作用で、自己免疫性溶血性貧血という病気になって死にかけました。元々生まれた時に仮死状態で生まれていて、体重も多くて肥満でした。1昨年の予防注射でけいれんを起こしたので、今年は獣医さんが6種から2種に種類を減らして打っていましたが、注射後2日後に尿の色が赤茶色になり、次の日にばたんと倒れてしまいました。すぐに獣医に連れて行き、けいれんかもしれないと様子を見られましたが、さらに次の日には尿の色が濃くなって来たので、またすぐに連れて行きました。そしたら予防注射から免疫異常を引き起こし、自分の白血球が赤血球を壊してしまうという恐ろしい病気になってしまいました。犬の予防注射では時々あることらしく、犬がタマネギを食べてもこの病気になるらしいのです。コロンは大量のステロイドを投与と輸血をされて生死をさまよいました。犬の輸血は血液型を合わせなくも良いらしく、獣医さんの愛犬から献血してコロンに投与されました。獣医さんは輸血用の犬を飼っているらしく、そのことに驚きました。
 犬の病気のことを神奈川にいる長男にメールをしたところ、かなり心配して丁度10月8日~10日の連休であったために帰ってくるというのです。出雲大学駅伝の影響で飛行機のチケットをとることが出来ずに、羽田ー大阪ー出雲のルートで帰ってきました。一緒に入院している獣医のところへ行き、コロンも長男に会えて喜んで元気になり、9日には外泊がゆるされて久々に家族がそろいました。「実習で忙しい時に帰らせるなよ」とぶつぶつ言っていましたが、生きているコロンを見て安心したようで、10日の夕方には友達と飲み会の約束があるらしく、昼前の飛行機で大学に帰っていきました。
 犬が心配で我が家に帰ってきた長男を見ていて、医者にとって大切な要素を見いだしました。愛犬の病気を心配する心が優しいというような事ではなくて、それも大切ですが、自分の目で見てしっかり観察するという要素です。若い新米の医者であったころ、先輩に相談してアドバイスをもらうのに実際に患者さんを視てくれてアドバイスをくれる人と、私の話を聞いて適当にアドバイスをする二通りの先輩がいました。最近の医学部ブームの中で受験戦争に勝ち抜くには要領よくスピーデイーに勉強する能力が要求されます。一つの事をとことん追究する能力はあまり必要ありません。ですが、医者になってみると常に瞬間瞬間で真理を追究する仕事なので、要領よりも亀の歩みでも一つ一つの疑問を自らの体験で片づけていく能力が要求されます。学生時代の秀才が必ずしも教授になっている訳ではないのはその為です。学生時代に留年したり多浪して医学部に入った人の中から教授などに出世する人が多く認められています。教科書的に要領よく医学を処理するのではなく、自らの目で見て症例を経験して力をつけて行ったものが勝つ世界だからだと思います。教科書はすでに過去の物なので、記憶力の良い人がすべてのことを憶えても独創的な研究はそこからは生まれてきません。
 私の師匠の小林祥泰先生は患者さんのことを相談すると必ず診察しに行ってくれました。そこで私自身が観察してないことを見つけられると烈火のごとく怒られて恐ろしい思いもしました。今思えば自分で目で見た眼力のみを信じていて、そこから新しいアイデアを生んでいったのだと思います。実際の経験から浮かぶアイデアこそが先生の医学の源なのでしょう。だからこそお金のない小さなグループから日本全国に新しいアイデアを発信して、教室の繁栄をもたらして自分も病院長や日本内科学会会頭まで上り詰めていったのです。一度つけたその癖はどの世界に行っても通用する哲学なので、今の仕事の管理の世界でも、便利に要領よく立ち回って昇っていった人は小林先生にかなわないのだと思います。
 ネット社会の今日、何でも情報は手にはいるし、学校で成績をおげることも素晴らし塾があったりすべてにおいて便利な社会ですが、最後は自分自身の経験から生み出された眼力が勝負になってきます。長男に何も教えた訳ではありませんが、高校時代から目先の点数を取る勉強よりも真理を追究する姿勢で勉強してきて、センターに必要とされるスピード感がなく現役の受験に失敗して、自ら最も合理的に点数を上げてくれる全国の予備校にも行かず、地元の高校の補習科であまり効率の良いとは言えない浪人時代を過ごして、再びセンターの国語で失敗して、北里大学に入学して今は多くの友達と楽しそうに学生生活を送っている長男が、今回犬の病気でわざわざ大阪経由で帰ってきたことに考えさせられました。このような面倒なことに一つ一つ着実に自分の行動で対処することが成功への近道である事を長男が思い出させてくれました。私自身もあまり要領の良いタイプではなく、大器晩成型の人生を歩んで来たので理解出来ることですが、彼はこれからもずっと茨の道を選んで行き、最も要領悪く生きて行くと思いますが、父親としてしっかり見守って行きたいと思っています。