院長の独り言
Monologue

2009.1.26

50歳にして天命を知る

今年の目標に剣道を再び始めることを掲げて密かに素振りをしていました。20万円で防具も新しく注文して、1月21日に届いて24日にやっと剣道をすることができました。産業医をしているところの企業に頼んで練習に参加しました。その日は零下2度の寒さで、体育館の床が冷たくて、足が凍る様に冷たく感じました。部員が3人来られて私を含めて4人で練習を始めました。最初は基本打ちを何回かやって、少し息が上がったので数分休憩して、いよいよ試合形式の稽古が始まりました。部員の方々は32歳から44歳の大社高校や出雲西高校で活躍された人たちで、竹刀を構えた感想で強くはあるけども自分が太刀打ちできない程ではないと感じました。一人目の人は32歳で元気があり、体格も私程度で丁度良い練習相手でした。お互い技を繰り出すも有効打を奪えずにいましたが、少しづつ勘が戻って来て面や小手が当たりかけてきました。ここ5年位、大社高校の生徒のインターハイ選手の構えを医学的に直したりすることをやっている為、目は抜群に肥えて来ていました。責める技が尽きたので、相手が面に打って来るところをこちらは下がって面を打つ昔得意だった技を繰り出した瞬間、左足に誰かの足が強く当たった衝撃が襲ってきて、倒れこんで立てなくなりました。誰がぶつかったのかと辺りを見回しても誰もいません。皆さんの予想通り左のアキレス腱を切ってしまいました。  昨年の暮れに武士道シックステイーンと云う女子高生の剣士の小説を読んで感化され、今年50歳になるのでもう一度若い頃の体力を取り戻して、中学時代の剣道の恩師ともう一度剣道をやり、中学時代の熱い思いを思い出して、初心に帰ろうと張り切っていたのに、その崇高な思いは神に通じず、初日にアキレス腱を切ってしまい情けない次第です。始める前に妻にアキレス腱を切るなよとしつこいほど言われていたのに、その通りになった自分がとても情けなく思います。県中がすぐ近くにあったのですぐに連れて行ってもらい、整形外科の先生の診察を受けました。県中の院長に電話したりして、何とかクリニックの診察を休まずに手術してもらう方法を探った結果、本日月曜日の夕方手術をして一泊入院をして、火曜の早朝に退院する方法をとってもらうことになりました。
 5歳の時に鼠径ヘルニア、10歳の時に斜視の手術をして以来の手術を受けることになり、診察は休まないまでも自宅や診察室の移動など大変不自由な生活が1か月続くことになりとてもショックを受けていますが、神は私に何を言いたいのか考えてみると、「まずは自分の体力の老化を認識しなさい。それから、限られた人生を剣道ができるなどと云う幻想は抱かずに、一日一日目の前の患者さんのことを考えて過しなさい。それがあなたの天命なのですよ。」とのメッセージが伝わってきました。老いを認識してその中でできる限りのことをする。それが50歳にして天命を知ると云う言葉の意味であることが、アキレス腱を切って理解できました。ここ1か月の杖を使った不自由な診療生活の中で、また今までにない自分を見つけようと考えています。このようなピンチの時に工夫して、今まで使ってない頭脳や筋肉を使って診療する方法を見つけること、それが私の天命であり武士道なのかもしれません。