院長の独り言
Monologue

2008.1.1

神様仏様を信じますか

あけましておめでとうございます。今年も皆様の生活が平和に過ごせることを心からお祈り申し上げます。
 さて12月24日はクリスマスですが、皆様はいかがお過ごしですか。多くの皆様は家族や恋人と美味しい料理やケーキを食べて必要な人にプレゼントを贈って過ごしていると思います。私は毎年カトリック教会のミサに参加します。妻と子供たちはクリスチャンですが、私の家の菩提寺が浄土真宗なので今はまだカトリックの洗礼を受けていません。子供たちはカトリックの洗礼を受けさせ、私が死んだらキリスト教の葬儀を行ってカトリックの神様のもとに行かしてもらう。それが妻と結婚する時の約束なので守っています。実のところ毎年クリスマスと正月のミサに出席していて賛美歌も歌えるようになり、考え方も少しキリスト教的になっていますが、どうしても信者になることはできません。日曜日にミサに出るとゴルフを出来ないのが洗礼を受けられない最も大きな理由なのです。我が家のクリスマスは教会のミサに出た後に10時頃ささやかな食事をして、小さなケーキを食べるだけです。数年前までは子供たちがサンタクロースを信じていたので子供が寝静まってから、応接間にプレゼントを置くのが私の仕事でしたが今はプレゼントもありません。長男は出雲高校の1年生ですが、今年はミサに出ないと言い出しました。大人になる前の反抗期です。何故かカトリック信者でない私がミサに出るように説得するのです。私が世の中は医学の世界も含めて科学では割り切れないことも多く、人間の科学を超えた世界の事も日々認識して神に感謝する気持ちを持つことも大切だと諭してみました。ところが息子の一言に私はすっかり納得してしまいました。それは「自分が生きてきた16年間で科学的に納得のいかなかったことは今のところ感じたことがない。だから今は教会に行かないけれども科学で割り切れないと感じた時には自ら教会に行く」との一言でした。
 そうなのです。往々にして失敗を恐れるあまり大人の経験則で最も効率的に上手く生きる方法を子供に伝授するつもりで子供を教育しようと思うのですが、子供にしてみれば全く理解出来ないことを押しつけていることが多くあります。人間なので失敗は当たり前で、失敗をして這い上がる努力をする過程で人はいろいろ学ぶことが出来るのです。まして10代の子供を捕まえて大人の理屈を並べても通じるはずがありません。そのことに昨年のクリスマスに私は気づきました。まさにクリスマスの神様の贈り物かもしれません。島根県の女性の平均寿命は女性は全国2位ですが、男性は下から何番目の状態です。これは働き盛りの島根の男性が全国的にも極めて生真面目で自殺が多いことに起因しています。一生懸命に仕事をしても誰でも失敗はあります。時に犯罪を犯すこともあるかもしれません。その時に死を選ぶ前に失敗は誰でもあるんだと思ってください。映画のロッキーの様に失敗から立ち上がる自分に価値を見いだしてください。きっと神様か仏様があなたの味方をしてくれるはずです。その時になって初めて神仏を信じても良いように私は思います。親鸞は歎異抄で「善人でさえも仏様はその人を救うのでかるから、悪人が救われないわけがない」と教えています。カトリックでも神を必要とする悪いことをした人から先に救うと教えられています。だから毎週日曜に1週間の犯した罪を赦してもらいに教会に行くのです。少しぎすぎすした世の中になってきたので、もう少し気楽に失敗を恐れずに生きて見ませんか。昨年の清水寺の館長が選んだ昨年を象徴する言葉が「偽」であり、儲け主義に走るような世の中になり、そのことに邁進して失敗した時には死を選ぶというそこだけは武士道の世界観が残っているというアンバランスな時代です。人間は神様ではないので罪を犯すものなのです。だから罪を心から償う為に宗教や哲学が必要なのです。ガリレオが地球が回っていると地動説を唱えた時に、時のカトリック教会の幹部は聖書にある天動説を正当化するためにガリレオを迫害しました。彼らもいくら教会の偉い人でも人間であるために重大な罪を犯しました。凡人である私たちの取るべき行動はそれぞれの人生の中で考えて行きましょう。こんなことを考えて医者を行っていると、患者さんを視るのが怖くなります。一日一日を無事に過ごす毎に神に感謝しています。
 1月19日からセンター試験が始まります。受験生は後2週間自分が今まで生きてきた中で最も死にものぐるいで、受験の朝まで頑張ってみてください。その結果失敗したとしても、一度出た馬力は再び出す方法が分かっているので、この2週間の頑張りは必ず2次試験や浪人時代の勉強の踏ん張りにつながります。成功をお祈りしています。