院長の独り言
Monologue

2007.11.2

新しい家族

我が家に新しい家族がやってきました。チワワの双子です。雄と雌でとてもかわいらしいのですが、シェルテイーに比べると頭も悪く、トイレとハウスに入る以外は全くしつけができません。普段はリビングで人間の我々と同じように暮らしていて、おかや木芸の机をかじったりいたずらばかりしています。シェルテイーのアベル君は一度しつけをしたら、だいたいのことは守ってくれていましたが、今度はかなり様子が違います。なんと馬鹿犬かと何度も腹を立てていましたが、のびのびと暮らしていてなんとも言えないかわいらしさがあってついつい許してしまいます。柴犬やシェルテイー、シェパードなどはしつけるととても言うことを聞いて賢い犬で権威を尊重する人には向いています。とにかく主人の命令が一番で、主人にほめられることが一番嬉しいことなのです。一方でチワワの様な小さな愛玩的な犬は、主人ではなく自分の主体性が一番のようです。食べたいときは食べて寝たいときは寝て、兄弟といつも喧嘩をして生活するのです。しかし、我が儘したい放題されても本音で生きているので、何かほっとするところがあって不思議と癒されます。今の私自身が本音でカジュアルに生きたいと思っているのが癒される理由かもしれません。私自身の幼い頃のような昔の日本の子供は親の言うことには逆らわない子が多く、それはあたかもシェルテーや柴犬の様です。今でも親の言うことには逆らわない子がいますが、現代社会の中では少し不自然な気がします。家でとてもよい子なのに学校で問題があったり事件を起こしたりするのは、普段我慢して生活しなくてはいけない家庭の環境に問題があるかもしれません。当院を受診する悪ガキ風の子供を見るとほっとします。お母さんによい子に育っていますねと言うと不思議な顔をされます。少なくとも家でくらいはリラックスして自分の言いたいことを言える様にしておかないと現代の複雑な子供社会では生きていけません。素直で一回も親の言うことに逆らったことがない子供は危険信号です。しつけをしなくて良いのではないのですが、よく事件を起こす子供にそのようなタイプが多いようです。しつけは本来の子供が考えていることを十分に出させた上で本音で行うものです。うわべだけのしつけは全く意味がなく、どこかでひずみが出てきます。我が家の二人の子供も中学校に入る前くらいから親の言うことを聞かなくなりました。やっと自我が目覚めて自分の考えを持つようになったのです。長男は高校1年生で、髪も伸ばしてカッターシャツを出して学校に行き、自分のことをチャラ男君と呼んでいます。自分で考えて勉強したり遊んだりしています。今は静かに見守っています。娘は中学1年生ですが、学校でかなり我慢して生活しているらしく、たまったストレスを我々夫婦に見事に発散してくれます。勉強の出来る兄と比べられて嫌な思いをしてきたようですが、今では自分自身で乗り越えて大人になっていきそれに伴って成績も良くなってきました。ほんの2年前までは全くおとなしい子だったのにと思うこともありますが、やはり静かに見守っています。
 犬の話から子供のことに展開してしまいましたが、言いたいことを言えて喧嘩のできる家族が仲の良い家族だと言うことだと思います。チワワが来て我が儘したい放題してくれていても、とても家族にかわいがられて家族の癒しになっている現状を見て感じました。シェルテーのアベルと過ごした約15年間はアベルと同じで子供たちも親に逆らうことがなかったのですが、アベルが死んでやりたい放題のチワワが来たのも、我々夫婦の子供たちに対する心境の変化と子供たちの成長に伴うものかもしれません。今の日本人を見て礼儀や儒教的な作法はすたれてきましたが、逆に自由度は増しています。昔の日本人は良かったと年を取った人は言われますが、私は必ずしもそうは思いません。昔の日本は赤信号みんなで渡れば怖くない方式で、みんなで戦争に突入して、特攻隊も行ってしまうほど一方向に偏ってしまうところがありました。今は自由度が高くなりすぎて、少し礼儀が欠けている部分がありますので、そこのところを人を思いやる気持ちと節度を持って行動すればきっと良い世の中になって行きます。中庸の感覚が最も人間らしく生きられる程よい感覚と考えます。