院長の独り言
Monologue

2023.1.29

久しぶりに甥の下手一将(かずま)君に会って

 2012年9月と2016年9月の院長の独り言で甥の下手一将君のことについて述べていますが、一将君は先天性脊髄性筋萎縮症の病があって、一度も歩いたことがありません。誰かの助けがなくてはトイレにも行けず、食事も着替えもできません。その一将君が中学3年の時に県の弁論大会で2位となり、その時の内容が2012年の独り言にそのまま掲載しています。障害があって何も出来ないとあきらめる前にとにかくチャレンジしてみて、自分が出来る範囲で出来ることをやってみようと主張しています。

 その後松江高専に進学して、積極的に学園生活を送ってトップクラスの成績で卒業しました。その後、自分が主張したとおりになんでもチャレンジしてみようと考えて、AI系のやりたいことが出来る豊橋工科大学に編入して、何と一人暮らしを始めたのでした。ヘルパーに毎日数回来てもらって、排泄、食事、着替えなどほぼすべての生活に介助が必要であるにもかかわらず、一人暮らしを決断したのです。学校での生活においても誰かの援助が必要となってきて、最初は友達もいない中で頑張って2年間の一人暮らしをやり抜きました。何事も好奇心の旺盛な一将君は一度新幹線の個室に乗ってみたくなって、個室に乗車したのは良かったのですが、次の駅の急ブレーキの際に首がカクンと折れてしまい、豊橋に到着して車掌が部屋に来るまで首が折れたまま誰にも助けをもとめることも出来ずに大変な目にあったようでした。

 我々健常者が何気なく暮らしている生活でも、障害を持つ人にとっては大変困難な場面になるということを彼自身が一人暮らしの中で貴重な体験をしています。ヘルパーは仕事だから何でもしてくれますが、ヘルパーのいない場面がほとんどです。ボランテイアで誰かにお願いする勇気も必要ですし、手伝ってくれた人がそれぞれ異なった対応をしてくれることにたいしての感謝の気持ちの表し方も大変難しいと思います。話を聞いてみると大変辛い2年間であったようです。

 卒業して松江に帰ってから少し落ち込んでいましたが、昨年春にNTTの障がい者枠の在宅勤務に就職することが出来ました。自宅からNTTの本部のコンピューターに入ってシステムの管理の仕事をしています。偉いのが給与の中から家にお金も入れています。

 今年の正月に母の元に弟夫婦と一将君が訪ねて来ました。久しぶりに会った一将君を見て私は、その悟りを開いた様な姿に感動しました。彼が弁論大会で語った様に、もう階段の前で人に迷惑をかけるのではないかと躊躇する姿はありませんでした。辛い一人暮らしを経験してみて、周囲の人に助けられながらも、自分の出来ることを自分の出来る限り行う生活の覚悟が出来た顔をしていました。私と話しをする姿もお坊さんと話をしている様でした。以前に中学生の時に彼の指導をしていてくれた先生が卒業後もよく訪ねてくるという話を聞いたことがあります。その先生が一将君と話をすると元気が出るとおっしゃっていたようです。

 私には先生の気持ちがわかります。今の一将君には誰も経験できないかなりの辛いことを克服した悟りの世界があります。それは健常者がどんなに辛いことから克服したとしても一将君にはかないません。そこに彼にしか出来ないことがあるような気がしています。かれの努力と精神力に比べれば私の行ってきたことなど問題外にたいしたことはありません。運動機能が他人よりも劣る分は、優れたところが出てきます。人よりも出来ないことは沢山ありますが、人と異なる視点から世の中を見ることができます。これからもっと悟りを開いて私達に何か大事なことを教えてくれると思っています。

 また何年か後に続報を書かせて頂くつもりです。