2年前に市長選に負けて成長した仲間たち
2年前に我々は小豆澤貴洋が立候補した出雲市長選を戦って49000対29000で敗れました。向こう陣営はほぼ全ての推薦2百以上を獲得していて、横綱に前頭15枚目が挑んだような戦いでした。既存の古い体質を変えて新しい出雲市を作ろうと若い将来有望な人達が夢を抱いての立派な戦いでした。私は既存の組織から若者が受けるプレッシャーを跳ねのけるのが大きな仕事でした。向こうは自民党、公明党、連合などがフル回転して戦って自民党の国会議員も応援しての戦いで、こんな我々の様な弱小の組織に本気になってしまったなと思っていました。小豆澤は子供の教育改革を訴えました。子供たちの登校拒否が出雲市は全国でトップであることを問題にして、子供は社会の鏡であろうことから教育から出雲市を変えていくことを訴えていました。私も休診日の木曜、日曜日は朝から夕方までマイクを握って小豆澤の良さを訴えて、出雲ドームに1000人を集めて演説会も行いました。
選挙結果が出て負けが決定した時に、私は若い仲間たちに「次の選挙はもうないよ。次の戦いはみんなが自分の持ち場で立派に戦って、一人一人がその世界でトップに立つことだよ。」と彼らを諭しました。その後の彼らの活躍は素晴らしいものがあります。小豆澤は家業の障がい者就労支援でしっかり基礎を築き、なにより子供食堂を地道に主催して地域に根差した活動を行っています。また、陰から自分の人脈をフルに使って島根県の将来のためになるように頑張っています。その他の若者もゴルフ場、鉄工会社、お菓子屋、お茶屋、電気工事、電気店、建築会社、土木会社など他にもさまざまな職業で輝いています。10年後には彼らが出雲市の経済界の中心になって行くでしょう。
私は既存の強い組織と戦って負けたことで、彼らの将来に役に立つ力がついたと考えています。どんなプレッシャーをかけられても逃げずに戦ったパワーこそが、これから自分の家業や立場にとって最も必要なのです。この力は誰にとられることもなく、永遠の彼らの力になってくれることを、私は自分の苦労の連続であった自分の人生を振り返って知っています。それから苦しい中で逃げずに戦った若者は一生の仲間です。ある意味今後の彼らの人生を考えると負けて良かったのかもしれません。選挙後に我々は毅然として一生懸命に持ち場で頑張っているからこそ、相手陣営からも一目置かれているのだと思います。
最後に、この期に及んでこんなに負けてから成長した小豆澤貴洋を見ていると、一度だけ出雲市長をやらせて見たかったと考えているのは私だけでしょうか。もう彼は二度と政治家を志すことはないと決心しているので、その夢を見ることはありませんが。