院長の独り言
Monologue

2021.3.21

全ての遺伝子は世代を超えてつながっていきます

今回は私の父親の話を少しして見ます。昭和6年生まれのひつじ年で私の長男がひつじ年でちょうど60歳の違いがあって、十干十二支が同じで不思議な縁を感じます。父の父親は宮大工で熊本から現在の美郷町にお寺やお宮の仕事に来ていて父の母親と知り合って、養子に入って結婚しています。二人の男の子が生まれて、父が次男にあたります。次の仕事で大阪に行って離婚しています。父が小学校低学年の時に母親を亡くして、孤児になってしまって戦争中に里子に出されたこともありました。戦後に祖父祖母に育てられて、師範学校に入学していますが、祖父が逝去してからは学校も中退して本当に天涯孤独になりました。教員家系で育った私の母が地域の小学校に赴任してきて、全く異なる家系で育った二人が結ばれて私と弟が生まれました。私が生まれてまもなくして、父は土建業を経営しはじめました。昭和44年に一度会社をたたんで、大阪の岸和田の病院で事務長として雇われて、四国の伊達の殿様の末裔の院長先生がとても父を気に入ってくれて、毎日のように運転手として院長に付き合って北新地に通っていたようです。そこで今までの土建業にないハイソな生活に触れて視野が広まったと言っていました。昭和46年私が小学校の時に島根に帰ってきて昔の従業員を集めて土建会社を再開させて、死亡する昭和54年まで日の出の勢いで会社を大きくしていきました。そして自分が孤児であったことから貧しい人や障がい者の雇用を積極的に行い、老人ホームの方たちを美空ひばりのコンサートに全員連れていったり、寄付したりして社会に大きく貢献していました。私に会社を継ぐのではなくて医師として歩む道を勧めてくれました。そして亡くなった昭和54年7月2日の前日に付き添いをしていた当時大学2年生だった私に,、早く帰って勉強して社会に貢献できる良い医師になれと、怒って私を追い返しました。私は泣きながら大学に帰りました。
   それは父の最後のこれから医師として歩む私への力強いメッセージだったのです。ですから私は絶対に技術も精神も磨いて人の役にたつ使命があるのです。
   この度島根県の養護施設や里親で育っている子供たちが、高校を卒業するにあたって、運転免許をとるお金が15万円の補助では足りずに困っていると聞いて、丸山知事にお願いして全ての高校を卒業する子供たちに運転免許を取得するのに足りないお金を一人あたり17万5千円を毎年寄付することにしました。今年は8人が卒業するので140万を県に寄付してそこから子供達にお金がいきわたる仕組みを作ることが出来ました。このことは父が孤児であって、そこから努力して成功して、私もそのお陰で医師になって、この様な寄付を出来るようになった全てにつながりがあるのです。私の中に孤児たちなどの弱者に対して少しでもお役に立たなければいけないと考える遺伝子が組み込まれているので、今回の寄付につながったと私は考えています。また、当院の職員が寄付の話に賛同してくれて、少しでも協力させて欲しいとの申し出がありましたが、この寄付は職員が一生懸命に働いて得た利益の一部なのですよと説明しています。患者さんに褒められたら、あなた方が通院してくださるからですよと説明しています。   
   さて、そこで今回の出雲市長選挙の話に展開させて頂きます。今回私は自分の持っている全ての力を出し切って戦っています。それは私が応援する小豆澤たかひろさんが、単にロータリークラブの後輩でリーダーシップがあって市長としての見込みがあるだけの理由ではありません。彼が障がい者や弱者を救う職業のサラブレッドだからなのです。彼の祖父が障がい者雇用の会社を60年前に立ち上げて、その障がい者が働くためのブロックを作る会社を経営し始めて、彼の父親はその仕事を引き継いで有名な男気のある方であったと聞いています。その息子であるたかひろ氏も先ずは弱者に目が行く視点を持っています。「誰一人置き去りにしない政治」の実現を掲げています。しかも自民党、公明党、連合、商工会議所全ての推薦を相手陣営が獲得していて、こちらは多くの若者や女性たちなど何のしがらみのない方たちが立ち上がって、、何とか出雲市を夢や希望の持てる町にしたいと手弁当で戦ってくれています。たった一つのしがらみが多くの末端の市民の声であるのです。
  多くの推薦を得ている相手候補は市会議員3期を経験する父親も県会議員であった自民党議員のサラブレッドです。私は一度演説を聴いて本人とも正々堂々と戦いましょうと名刺交換をしました。育ちのよさそうなお坊ちゃまの様な感じでした。
   市役所に勤めていた方や元議員の方には市長として大きな改革はできません。今まで自分たちがやって来たことが正しいと信じていて、その概念から外れた考えが出来ないでいるからです。議員の家に育ったものは今までの政治しか出来ない様に遺伝子に組み込まれて、環境もそうなっているからなのです。昭和の時代までは継続することが一番大切で、それで社会が充分に回っていきましたが、平成から令和にかけて日本の国力が低下してきて、さらに地方の地盤沈下が進んでいる現在は大きな行政改革なくしては地方の政治は持たないのです。今までは良かった政治家や行政畑の遺伝子が邪魔になって来たのです。新しい発想を持って行政マンを上手に使う能力が必要となってきたのです。テレビで自民党の国会議員が橋下徹にやりこめられている場面を見かけると思います。また、丸山達也島根県知事が国に対して鋭い指摘が出来るのは彼らの遺伝子に今までの政治家遺伝子組み込まれてないからなのです。
   今回の選挙の大きな争点は、一つ目が今までの政治を漫然と継続していくのかすたれていく出雲市を市民の意見を聞いて市民の手で改革していくことを望むのかです。二つ目が政治の主役が今までの様に旧平田市で良いのかということになります。どちらに投票するにしても多くの市民に選挙に参加して頂いて多くの民意を反映して欲しいと思っています。