院長の独り言
Monologue

2019.9.1

私の医療の原点

お盆に中学校の還暦の同窓会があって出席してきました。男子はおじいさんになって、女子はかなりのおばさんになっていることを想像していましたが、予想は外れてみんなが生き生きとしていました。60歳になっても幸せな人生を送っているみたいでした。邑智郡美郷町の小さな中学校で学年の人数がわずか48人で4人が死亡していて、約半数が出席していました。
 昔のように馬鹿な話をして盛り上がり、女子の一人は夫といまだにラブラブであることを何度も訴えていて、もう一人の女子もそれに賛同していました。幸せな家庭に恵まれているようでほのぼのとした気持ちになりました。
 9月にはもう間もなく私の出身高校である松江北高の同窓会がありますが、多分そこではこのような爽やか気持ちになることはないであろうと思います。進学校であったので当時の偏差値の高い低いでどうしても卑屈になったり見下したりがあるからです。他人に負けまいと頑張って競争してレベルを高めていくのが進学校の良い所でもあり欠点でもあります。そこに人に優しくしたり、人をいたわったりする気持ちはどうしても欠けてくるのです。
 私は中学時代はほとんど勉強をしなくても競争相手がいなくていつも一番の成績で自分が賢いと勘違いしていました。教えてくれる先生もいい加減なものでほとんどが新卒の正教員ではない講師で、当時は僻地にはまともな教師は赴任してきませんでした。ですから先生も数学や社会などは自分で先に進めていきなさいと言うくらいで、英語に関しては常に半年以上の遅れで授業が進行していくほどひどいものでした。ですが皆が仲が良くていじめもなければ、先生にぼこぼこに殴られても何も文句も言わずに従う純朴さを備えていました。
 その後北高理数科に進学して自分の学力のなさに愕然とすると同時に、誰にも頼れない孤独な毎日が続いていて苦痛以外の何物でもありませんでした。
 今回中学の同窓会に出てみてはっきりとわかりました。私が今日あるのは大自然の中で友達と魚を取ったり、アケビや栗を取っておやつにしたり、剣道ばかりに明け暮れて過ごした日々ののお陰であることに気が付きました。美郷町の旧大和村に生まれたことを悔やんでいましたが、そんなことはなくてやはり幼少期から中学校くらいまではその時期でないと養うことの出来ない情操があって、勉強は遅れるかもしれませんが、何でも人に頼らずに自分で工夫をして勉強をして仕事をするという足腰の強い人間になれたのだと思います。
 現在、島根の隠岐の島の島前高校や飯南高校、矢上高校などに都会から越境入学してきて、大自然の中で学ぶことの大切さが見直されています。人間は個人個人が異なる遺伝子をもっていて、当然勉強や運動の能力の優れた人も沢山います。彼らはその特殊な能力を生かすべく都会で英才教育を受ければ良いと思いますが、私の様なその他の普通の人間は大自然の中であくせく競争をすることもなく、のびのびと感性を磨く時期が必要なのではないでしょうか。
 今60歳の還暦を迎えて初めて思います。土建業を営んでいた父と教員をしていた母のもとで美郷町で生まれ、地域の人に育てられて友人に恵まれて、何の競争もない中で伸び伸びと育ったお陰で、現在患者さんに慈しみの気持ちを持つことが出来る医師になったのであろうと。100%の医療はありませんが、少なくても患者さんにとってどのようにしてあげることが一番幸せであるかを考える医療をしていることは、神に誓って誇ることができます。私の医療の原点は美郷町の旧大和村にあったのです。
 追伸:美郷町に三國屋という古民家を改造した素晴らしい民泊施設があり、そこで同窓会をしました。興味のある方は美郷町観光協会にお問い合わせください。