慣れとの戦い
仕事においても人間関係においてもその状況に慣れてスムースな流れを作ることは大変重要です。医療現場に初めて登場した研修医の頃は、見るものやること全てが初めてで一つ一つの事象に一生懸命に観察眼を持ったものでした。それがいつの日か疾患や病態に慣れてしまって、観察することが疎かになってしまいます。例えば、毎日のようにノロウイルスによる感染性胃腸炎の患者さんが何人も来院されている状況で、一人の急性虫垂炎(いわゆる盲腸)初期の患者さんが来院されたとします。下痢のない場合は診断の鑑別が大変難しい場合があります。それでも、頭のなかに急性虫垂炎が頭に入っていれば良いのですが、入ってない場合は大失敗を犯すことがあります。毎日のようにノロウイルスと戦っているわけですから、慣れからその診断が浮かぶのは当たり前であり、それが医学における慣れの怖さで、中堅になってからこの形の医療過誤を犯すことが多くあります。
プロ野球の世界で最近は投手が150Km~160kmの球速の球を平気で投げます。最初は戸惑っていた打者も徐々に目が慣れて来て対応出来るようになってきますが、そこでフォークボールで球を落とされるとほとんどの打者が直球の160kに合わせて振るので三振となってしまいます。
イチローなどのように長年にわたってトップで活躍している選手は、常にこの慣れと戦っていると思います。自分の体は年々衰えて来るのでその変化に対応しつつ、常に新しい状況を想定して毎日長い時間をかけて入念に試合への準備を行って、慣れという魔物と対決しているのだと思います。
お笑い芸人でも、例えば明石家さんまさんが常に笑いを取るのに相当な努力をして準備をしていることでしょう。今までの自分の才能だけに頼ってテレビに出ていたらすぐに飽きられてしまいます。
私自身の診療生活においても使用する漢方薬は常に進化させて、より良い治療を提供出来るように考えていますが、時に慣れが私を襲うことがあります。そんな時には患者さんが、この薬は効果がないとはっきり言って教えて下さいます。有り難いことです、自分の慣れをしっかりと指摘してくださる方は本当に神様です。そこからさらに工夫を重ねていってこそ、真実にたどり着くのです。
世の中で二流で終わる人と一流になる人の違いはそんなに大きなものではなくて、いかに自分の中の慣れという魔物と戦い抜くかによると考えています。その意味で技を磨くことに終わりはなく、生涯続いていくものと考えます。だから、イチローもサッカーのカズもジャンプの葛西も年をとってもなかなか引退しないのではないでしょうか。