40年ぶりに見た故郷の神楽
私は15歳で故郷を離れて以来、ずっと別の土地で暮らしています。最後に故郷の神楽を見たのは、恐らく高校生の時に祭りで帰った時に見た時以来だと思います。故郷美郷町の神楽は石見神楽の中でも広島の山間地に近い神楽で結構激しい舞です。
今まで述べて来たように19歳で父が他界して、28歳で実家の事業が倒産して母が出雲に来て以来、墓参り以外では故郷に足を踏み入れていませんでした。何か自分でも親戚や知り合いの家に行きたいと思うこともなくて、出来れば墓参りの時でも人に会いたくない気がしていて、誰にも会わずに約30年が経過して行きました。
ところが、頭の中に時折神楽の囃子が聞こえていていました。頭の中で尊が鬼退治をしている姿が浮かぶのです。生まれた環境かその地に根付いた遺伝子かが、どうしても神楽の場面を忘れさせてくれません。
そんな折に、患者さんの中に出雲から美郷町の都神楽団の舞をわざわざ見に行く人がいることをしりました。なんと一番の舞手が片岡君といって、まだ20歳代のイケメンで太鼓から鬼の舞から何をやらせても絵になって感動的だと言うのです。しかも彼は私の同級生の息子であり、沢山の追っかけがいるというのです。
どうしても行きたくなって、彼の母親の同級生に電話をして行くことにしました。彼は消防士をしていて現在博多で救急救命士の資格を取るために勉強中であり、神楽に参加できるかどうか分からなかったのですが、家内を誘って私が育った都賀地区の隣の片岡くんの地元の都賀行地区の祭りの神楽を見に行きました。
そこで、片岡くんは帰って来て神楽に参加してくれました。驚いたのは片岡くんは大太鼓を叩いていましたが、楽器と鬼と尊と一体となった全て魂のこもった踊りでした。まるで鬼になったかの如く大太鼓を叩く片岡くんはロックスターの様でした。この神楽を見ている子どもたちはこれを舞いたくてこの地に残るかもしれないし、都会に出ている若者もこれを見たくて祭りに帰ってくるであろうイベントでした。
この日の神楽の舞が私自身の故郷とのわだかまりを消してくれた様な気がしました。父が生きていて栄華を極めていた日々から、倒産により真っ逆さまに転落して、何も関係ない母が教員をしていたために一部の人からからいじめにあったことなど人間の醜い面などを全て消してくれました。
神楽の鬼は人間自身の中にいて、私自身の中にもいて、それを尊が必死に鬼と戦いながら舞い、それを大太鼓や小太鼓や笛が演出することによって、人間の悪い心を戒めて追い出す作業をしているのだと思いました。
自分は何も悪くない悪いのは他人であると考える人ほど悪人であると、多くの宗教は教えています。常に自分の中に鬼が巣食ってくる可能性があるので、昔の人は神様に奉納するとして神楽を考えだしたのだと私は考えます。人は誰しも悪いことをしようと思ってするのではなくて、心の中で常に悪い心と戦っている良心(尊)が負けた時に悪い心が出てしまいます。それが世界の中で比較的出にくいのが日本人であると言われていますが、人間の本来の本質は変わらないと思います。神楽の様な伝統が日本人に抑制的に働いているために、表現として出にくいのではないでしょうか。この日神楽を見てそう思いました。神楽の中で尊は鬼に必ず勝つから安心して見ることが出来て、悪いことをしないように潜在意識に植え付けられるのではないかと考えました。
不思議なことに、私が故郷を受け入れたその数週後に、母校である中学校から中学生への講演の依頼がありました。1月に何かを中学生に伝えることが出来れば良いなと考えています。少しばかり故郷に恩返しが出来るチャンスが来たのかもしれません。もう一つ不思議な事があって、片岡くんの大太鼓の左手のバチさばきを見ていて、ゴルフの左手の使い方を修正して以来飛躍的にゴルフが上手くなりました。
この一年は肥満患者さんが激増して、雑誌にも多く取り上げれれて、テレビにも出てしまいました。目立ちすぎた結果としてタレコミが役所に多数あり、厚生局から個別指導もして頂きました。最後に書籍も出す結果となって、広告規制にひかからないかと妻や職員には心配をかけてしまいました。でも、自分が多くの患者さんを健康にしてあげたいと思う気持ちは極めて純粋なもので、今後も変わることはないでしょう。どんなに困難なことが次から次へと来ることがあっても、真実は一つであり必ず実を結ぶものと考えています。ただそこに、今回の神楽の様な人間の努力や現実を超えた不思議な世界があるのではないかと考えてもいます。
自分、自分、自分、自分だけが一生懸命に生きているのではなくて、周囲や世間の人や自然環境までもが一生懸命に支えていて、日本全体、地球全体のハーモニーによって自分が支えられていることを常に忘れては行けませんね。