院長の独り言
Monologue

2016.9.29

障害を持っている一将君から教わること

パラリンピックが終わりました。それぞれの障害を乗り越えた多くのアスリートが素晴らしい活躍をしていました。みんな障害を持っていることにくよくよしていなくて、今の自分の頑張りに誇りを持っている感じでした。
  私は多くのパラリンピック競技を見ていて、2012年9月にこの独り言で取り上げた甥の下手一将(かずま)君を思い出して、彼のその後の成長を今回は述べてみます。
  あの時に述べた様に、松江高専に入学して一躍人気者になったようでした。それは同級生の私の患者さんから聞きました。体育祭では自分が競技に出られない分、電動車椅子を走らせてみんなの競技がスムースに進行する様に裏方を一生懸命に勤めたようです。先生方も彼の何事にも真摯に取り組む姿勢と勉強が出来ることに感心していました。
  私も何回も彼に会っていますが、最も凄いところは今まで一度も歩いたことがない先天性脊髄性筋萎縮症に生まれたことを何一つ泣き言を言わないことです。常に前向きに考えることが出来るのです。彼の両親も含めた彼の家で最も大人の精神力を持っているように私は思います。
  中学時代に彼の弁論大会を指導してくれた先生が自分のために彼の所に遊びに来るようです。その気持は私にはわかります。現代社会でストレスの多い世の中で、うつ的になる人は多くなっていますが、彼に会えば自分はなんてつまらないことで悩んでいるのかと恥ずかしくなることでしょう。
  この世に生まれて人の世話にならないと生活が出来ない状態ではありますが、多くの人に勇気を与えてきただけでも素晴らしいことです。
  松江高専は3年生の時に成績が一番になると学費免除になるようですが、とりあえず彼は一番になって学費免除になっています。今後は大学に高専枠の編入試験があるので、どこかの帝大に入って一人暮らしがしたいようです。そのパイオニア精神も見上げたもので、必ず彼の願いを叶えてあげたいと思っています。
  障害者として生まれて来て、小さなころはどうして僕は歩けないのかと自問したことでしょうが、それを乗り越えただけでも素晴らしいし、彼を見ている人に勇気を与えることが出来ることも彼にしか出来ないことです。彼を見て可哀想だと思う人は少ないと思います。可哀想だと思われることはとても惨めで残酷です。障害も個性であるという考え方があります。障害者になって初めて気がつくこと、初めて世の中が見える様になったことなど、多くの障害者には障害者の良さが必ずあるはずです。そのことを考えて周囲の人々は障害を持っている人と接した方が良いことを一将君が教えてくれました。
  私は一将君の応援団長として、私が生きている限り彼を応援して、彼からも色々なことを教わりながら今後を見守って行くつもりです。