院長の独り言
Monologue

2015.4.26

如己愛人

島根県雲南市三刀屋町に永井隆博士記念館があります。永井博士はこの三刀屋町に生まれて、松江高校を経て長崎大学医学部を卒業後に放射線科医となり、放射線を浴びて終戦前に白血病に罹患しました。長崎に投下された原爆で妻を失った後に寝たきりとなった身で、「如己愛人:己の如く人を愛する」の精神を長崎で執筆して、その収入の大半を戦後の長崎の復興のために寄付しました。博士の言動は活字となり歌となり、戦後のすさんだ多くの日本人の心を癒して、励ましたと言われています。
 やがて白血病の悪化で死を迎えた博士が残して行く一人娘の茅乃さんに「カヤノが持つ大切なものを本当に必要としている人にあげなさい。カヤノに必要なものは神様がちゃんと与えてくれるから」 と言い残してお亡くなりになったのです。博士の死後博士が住んでいた二間の家は如己堂と名付けられて今も長崎を訪れる人の心を癒しています。
 たまたま私の妻がカトリック信者で、信者でない私はこの話を教会で何度か聞いています。何度聞いても、何回思い出しても素敵な話です。典型的な凡夫である私などはとても、自分が一番大切にしているものを必要としている人にあげるなどという発想にはとてもなれませんが、最近毎日毎日多くの遠方から来てくださる患者さんを診ていて感じることがあります。
 それは、人々に好かれようとか嫌われまいとか、何か受動的によく思われたいとする自分の感性や行動はとても日本人的ではありますが、何か本音で生きていない自分がそこにいます。日本人なら誰しも人から愛されたいとの受け身の都合の良い考え方が根底にはあるのです。しかし、その受け身の考え方はみんなが持っていて極めて標準的であり、感動の要素はありません。
 発想を変えて、永井博士のいう「如己愛人」の精神で己の様に人を愛してみたら素敵な人生が待っていることを患者さんが教えてくれたのです。
 患者さんに好かれようと媚を売ったりするのではなくて、本当にその人のことを想い愛してみるのです。そこには医師としてのプライドもなければ、訴えられるのではないかとの恐怖もありません。ただただその人を愛して時には優しく時には厳しく医療を行うのです。その世界はとても素晴らしい世界で、常に私が愛すべき人達が集まってくるようになってきました。
 成功してそれを継続している多くの人達の雑誌などで話を読んでみると、大抵はこのユーザーをこの上なく愛しています。愛するがゆえにその人達の立場に立って、その人達の喜ぶ顔が見たい一心でどんどんと新しい発想でビジネスを展開していっています。
 人に愛されてないとか恵まれてないとか不満を言う前に、まずは周囲の人に感謝をしてひたすら愛してみませんか。
どんな時もその愛がぶれることなく、貫き通してみませんか。
永井博士の様に死に直面したどんなに辛い時でも、大らかにユーモラスに周囲を明るくしてみませんか。
他人の恩にはどんなことがあっても誠心誠意応えてみませんか。
マイナスもプラスに変えてたくましく生きてみませんか。
 実際には大したことが出来なくても、少なくても周囲の人を愛することは今からでも出来るはずです。でも、相手から愛されるという結果は求めては行けませんよ。求めなくてもきっと神様があなたを沢山の愛で照らしてくれるはずですから。
 永井博士も白血病になって残された短い時間と多くのお金を周囲の人に使うことによって、残して行く一人娘の茅乃さんを神様に安心して託したのでしょう。
その後私がカトリック教会でお会いした茅乃さんはとても素敵な方でした。
「如己愛人」とても素敵な最も私が好きな言葉です。