院長の独り言
Monologue

2014.8.30

生きてるだけで丸もうけ

明石家さんまの娘のイマルさんの名前の由来は「生きてるだけで丸もうけ」という意味でさんまがつけた話は有名です。人間がこの世に生まれる確率は、父と母が結婚する確率や祖父母やその先祖にさかのぼったり、受精の際の自分に備わった遺伝子の精子と卵子が結合する確率やどの月の排卵日かなど、ほぼ計算出来ない位の確率です。
 人間はこの世の中で生きているだけで、物凄い確率の幸運に恵まれているのです。ですから最も良くないことは自分で命を断つことで、最も運のないことは人に殺されることなのです。どんなに不幸な目にあっても生きてさえいれば、必ず何らかの形で幸運が巡ってきます。自分は巡って来ないよという人がいると思いますが、それは自分が運が良いということを理解してないだけです。
 生きていると五分と五分で選択しなくては行けない場面が連続して出現します。意外にも我々はほとんどの選択で良い方を選んでいます。たまに選択肢を間違えることもありますが、長い目で見ると間違えた方の選択肢が自分を成長させてくれることもあります。あの時こうしておけば運命が変わったのにと悔やむのですが最終的には結果は変わりません。むしろ、良い方の運命に感謝するべき場面はかなり多いのです。車の運転をしていて事故をしそうになってすんでのところで事故を回避して人を引かずにすんだことや車の事故に合って怪我はしたが命は助かったことや受験に失敗して志望校には行けなかったがその大学で偉くなっていったことや付き合って人に振られたが、その後素敵な御縁があったことなど。人生は終末を迎えてみないとどの選択肢が運が悪かったのか分からないのです。
 東京の浮浪者の町の山谷でボランテイアをしている人が、社会的に地位が高いと呼ばれている人と山谷の人々は人間としてほとんど同じレベルの話をしたり人間関係を築いているというのです。その社会で人気のある人はどちらも気配りが出来て、ありがとうが言えて面白い話をするし、人気のない人は挨拶やありがとうのお礼が言えなくて、人と協調して話が出来ないというのです。この話は大変興味深いことで、山谷で暮らしている人は元々会社などを経営していた成功者であった人や一流企業で働いていた人もいて、元の職業は一般社会の人と何をしていたかの比率は変わらないのだと思います。何らかのアクシデントがあって運悪くで山谷の世界に入って来たのでだと思います。意外と居心地が良くて住み着いている人もいるかもしれません。もう人間同士の競争が嫌になり、ライバルの不幸を喜ぶようなこともなくなり、みんなが貧乏でその日の食事に感謝をすることが出来る。それこそ無の境地に入っている人もいるかもしれません。
 社会的な成功者と山谷の人達の違いは紙一重であり、一瞬の判断の良い悪いによるのではないかと私は考えます。一般的に大儲けを狙わずに手堅く平均的な暮らしをしている人は山谷に行くことは絶対にありませんが、トップを走っていて何かのつまずきで一文無しになった人で、自殺を選ばなかった人が山谷や西成などの浮浪者の町に行くのです。だからトップを走った経験もあり、どん底の現在の暮らしの経験もあり、人間としての視野が広がっている人がいてもおかしくありません。そこから這い上がって一般社会に出た時は今度は運がよくなる選択をするでしょうから、これ以上強いものはありません。山谷にボランテイアに行く人は面倒を見てあげるというよりもその人達と話していて、人間の素を見ることが出来て楽しいから行くのだと思います。それは人間をかなり深く考察することのできる人のみが抱く考えではないかと考えます。そのことを山谷の人は理解して相手をしてくれているのだと思います。いつもは人々から無視されている存在の人達にとって自分たちの話を聞いてくれるボランテイアは有り難い存在なのです。
 この世に生まれて良いことはなかったと嘆く前に、普通に暮らしていけることの幸運に感謝するべきだと思います。いろいろと今までの人生を振り返っても、悪いことばかりではなく、良かったことも沢山あるはずです。その人に応じた程よい幸運と不運が与えられているはずで、自殺と他殺以外はトータルで誰でも同じ位の運になっていくはずです。金持ちは隠れた不運に気がつかないだけで、貧乏でも隠れた幸運に気が付かないだけです。それぞれが別の人生を歩んで行く中で、幸運の質も大きさも異なっているはずで、全てが揃う人生なんてありえません。
 人間は常に適度の幸運と適度の不運の連続の生活をして行き、そのめりはりのお陰で飽きずに暮らして行くことが出来るし、不運があるから幸運に幸せを感じることが出来るのだと思います。自分の人生を不幸だと勘違いしている人は参考にしてください。
 最後にもう一度生きているだけで幸運なのですから、自分で死を選ぶことは決して行ってはいけません。若いころに苦労をした私が思うのは、その時の苦労のマイナスの部分は必ず将来プラスで帰ってきます。後になって一つ一つの出来事の運不運を検証してみると不運であったように思うことでも、実は運が良かったことが多くあるからです。それは自分の決められた寿命を最後まで生きてみないとわからない結論ですから。